日本人は悲しいことに、自覚症状がないまま差別発言をすることが多い。
日本人だけでなく、韓国、中国など他のアジア先進諸国の人たちも同じような感じで、
アジア人は人種差別問題から遠い存在にいるような気がする。
特に日本人は島国で、他の国と国境をシェアしていないこともあり、
『外国人』と『私たち』
『"私たち"とは違う人種、違う国の人たち』というラベル貼り、区別をする傾向が強い。
『肌色』という言葉は以前問題になったが、
アメリカとは違い、同じような見た目の、同じような環境で育った人たちに囲まれて暮らしている日本人にとって、
それを本当の意味で理解し、真の問題として捉えるのは結構難しい。
逆にアメリカは過敏すぎて、それが余計に問題を大きくしているようにも思える。
何が正解なのかはわからないが、
アメリカではとにかく子どもの頃から盛んに教育の一環として人種差別、社会格差、宗教観念などのバラエティを普段の生活に盛り込む努力がなされている。
広告や絵本、テレビなどで普段目にする人々の何もかもが、不自然なほど多様性を持つ。
肌の色、着るもの、障がい、民族性、いろんな人がいて、色んな価値観や生活習慣の違いがあることを日々の生活の一部として見せられることで、それが全てノーマルだということを無意識のうちに脳に刻み込まれている。ある種の洗脳だ。
前にも何度か書いた覚えがあるが、
『色白美人』という観念。
『美白』という言葉。
『日焼けしたくない、色黒になりたくない』という考え。
これはアメリカ生まれ、アメリカ育ちの人たちにはほぼ存在しない。
みんなそれぞれ美に関する観念は違っていて、
夏になると多くのコケイジャンは日焼けをしたがり、
ファンデーションも自分の肌より暗い色を好み、オリーブ色の肌の人たちを『美しい』と言って羨ましがる。
日本人の『美白好き』の裏側には、『浅黒い肌の色』を『美しくない』と無意識のうちにバイアスを持っている危険性がある。
日本で生まれ育った日本人が『肌色』と聞いたらどんな色を思い浮かべるだろうか。
ペールオレンジ、という言葉に置き換えられたりしたが、結局はペールオレンジも従来の肌色と同じ色をしている。
アメリカの『肌色』はたくさんある。
化粧品店に行くと、ずらりと何十色も並ぶファンデーション、コンシーラーetc.
Crayolaだって24色の肌色マーカー、クレヨン、色鉛筆を出している。
色塗りで、肌色が24色の中から選べるのだ。
私はふと、この24色の『肌色』色鉛筆を今度日本に帰国する際、13歳の姪っ子へのおみやげにしようと思いついた。
アメリカはちょっとやりすぎ感があるが、
日本の将来を担う子どもたちが、色鉛筆という小さなきっかけを通し、
日々変化する世界の多様性のありかたについて考える機会を得られれば良いと思う。