腎臓移植の問題 | いい加減社長の日記

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会社を立ち上げて15年。今はやりのIT関係だけど、世間で騒がれてる社長たちには、ほど遠い。



ニュースネタをメインとして、映画は週に1回程度のレビュー記事、他は、愚痴の多い自分ネタなど?



今度、映画情報サイトを立ち上げる予定です。

腎臓移植の問題が大きくとりあげられてます。
うかつに「いい、悪い」は言えない問題です。


「摘出したい人」がいて、「捨てられる臓器でも移植して欲しい人」がいて、それを医師がつないだ、ということなのでしょうか?


確かに、腎臓は2つあるし、何らかの病になった腎臓を摘出したほうが、いいというケースもあるのだろう。
そのときに医師に「摘出した腎臓を、他の患者に移植してもいいか」と聞かれたら、自分にはもう不要と考えて「いいですよ」と返事をしてしまうのではないか?


一方、移植される側は、一時的にでも人工透析から逃れられるものならば、病気の腎臓であれ、移植してほしいと思うことは理解できる。



疑問は、もし移植できる腎臓であったならば、摘出しなくても治療できたのではないか。
もし、摘出しなければいけない腎臓であったなら、移植された患者の苦しみを先に延ばしただけではないのか?


そして、何よりの問題は、その判断が1人の医師の恣意的な判断で行われたこと。



確かに、腎臓という臓器の病気は、かなり苦しいようです。
私の昔の会社の後輩も、腎臓が悪く、人工透析を行っていました。
何年か前に、父親から腎臓を提供されて、人工透析の必要はなくなったようですが、それでもその腎臓は永遠に使えるわけではないらしい。
何年かすると、また機能が低下してしまうようです。


実際問題として、腎臓の提供者は、患者の親族というケースがほとんどで、腎臓を患っている患者にとっては、厳しい現実に向き合うことしかできないようです。



今回の問題は、なんなのでしょう。
正規の手続きを踏まなかったこと?


少なくとも、「摘出された側」「移植された側」は、納得しているように思えます。
ただ、今回の医師の恣意的な判断は、「腎臓移植の権威」という名前に驕った行為のようには見えますが。


もし、今回の医師の判断が、妥当なものであったとしたら、それができるようなルールにすれば良いのでは?


もちろん、腎臓移植をしなくても、腎臓の機能が回復できるように、医学が進歩するのが一番なんでしょうが。




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