皆さんこんばんはー!!

下書きに・・・あれ?!ない!


そんなわけで書き直しますえーん


昨日の記事の続き



昨日はね、久々に梅田に出て

映画を観ました!



良かったわ〜❤️

ぜひ観てほしい!


ええ歳のオッサンと妙齢のアタクシが




 ペアシートを予約していきました♫


はいっ!昨日の続きね。

高校時代の親友寧々のママからの電話で

寧々ママがトランク一つで大阪から

息子のシュウさんの住む信州に

引っ越すことになったと。


「身一つで来いって。

お気に入りのものは、何も

 持っていけないの」


と落胆する寧々ママ。


「カップポードはいいものですごく高かったの。

亡くなった主人が買ったのよ。

ウィッグは27万円したけど、

つけて出る場所もないから、処分しないと。

殆ど着てない着物や草履もあるの。

この間リビングの絵画を処分したわ。

分別が大変だった」


涙声になる寧々ママ


息子のシュウさんに、

家のものの処分をきつく言われているのでしょう。


抑えていたのでしょう。

寧々ママの悲しい言葉が溢れます。


絵を壁から外して、額から外し、

ガラスと紙と木と分別する作業は

まるで

ゆるしてね、ゆるしてね と

死体をバラバラにするかのような作業だったと。


「これをあといくつ

 やらなきゃいけないのかしらね」


52年、一軒家に住んでいたら

荷物も家具も増えるものです。

終の住処だと決めていたならなおさら、


身軽でいようとか

いつ引っ越してもいいようにとか

考えないものですね。


トランク一つとなれば,本当に

入院準備のような荷物しか持っていけません。

少しの動きやすい服、洗面用具、スマホと充電器。


ハワイ旅行のようなうきうきする荷物ではなく

とりあえず生きるための「モノ」を。


私は心がぎゅっとなりました。

「お母さん。モノの処分はしないといけないけど

お母さんが手元に置いておきたいものは

どんなに役に立たないものでも

お母さんの心のためには必要だと思う。


何か少しでいいから

お気に入りのもの、どうしても連れていきたいものは

手放しちゃダメです。


大きなものは、写真を撮って手放しましょ。

私もお手伝いしますから」


私は余計なことを言っている。

余計なことをしている。わかってる。


寧々が生きてたらきっとこう言う。

「いいよミカさん!大丈夫よ、ごめんね

母さんもミカさんが優しいからって甘えないで

自分の荷物は自分で処分しなくちゃ」


でも、もし私が亡くなってたら

うちの母が寧々ママと同じ立場なら

きっと寧々に電話をかけてたと思う。

そして寧々


「ミカサママ、私が手伝うから

一緒にやろう」


って、私の母に、きっと言うから。


家は、人生の容れ物。

そして家具やモノたちは

人生の途中で出会った仲間たち。 

そこには手に入れるまでのストーリーや

思い出が必ずあります。


人生がまだ終わっていないのに

急な病気や老衰のために

愛着のある家やモノたちから

急いで離れないといけないというのは


人から心の中身を半分むしり取るような

そんな苦しみなのではないかと思います。


愛着のあるモノや家具を

自分の意志と反して捨てなければならないとき

きっと

「一緒に生きた仲間」を捨てるような


そんな気持ちになるのでしょう。


続きます。