「声を道具として使ってよいのか」は、愚問です。もう、使っているのです。どうせなら、感度を上げて使うことではないでしょうか。
研究所では、入ったとき、何か身につく、よくなるように感じられるかを大切にしています。もし、価値が感じられるなら、先輩たちがここで感じて、ここで生じさせてきた何かが残って積み重なっていて力を与えてくれるのです。それを私は妨げまいとしてきました。
鈍くしてはよくないのです。そうなると、何を身につけても世に通じなくなるからです。それでは身につけたといわないのです。部分的な技になって、一時や一部としては認められるかもしれませんが、全体として力をもつに至っていないからです。