個人的に[気持ち・気合が無くなった際に行う
『魂』のリセット法
それは超簡単な事
今の私を形創ったとされる 実在の人物をテーマに扱った作品を
観る事
フィクション扱いですが 元に為った 人物・行為・から
産まれた 作品なのが事実・現実・なのは 明らかだからです
過去の作品(DVDボックス)を 見返す事・・・
注)繰り返しに成りますが私はTV自体所有していません、汗
必ず見返すのは 白い巨塔&救命病棟シリーズ
これらの作品と出会い(事実上の関係者とも出会い・直接会い話し)
私の人生観が 変わった・代わった のが現実・・・
そして それを聞いた以上果たすべきものが産まれたのも事実
多分ですが・・・
私の脳は 自我50% ガンダムOO が 25% 残り 25%は
この 白い巨塔&救命病棟シリーズ で、構成されているのでしょう
真実を 聞き・知った・時点から 私の中では今でも 医学界から事実上追放された医師の
先生の 言葉・発言・会話 総て覚えて居ます
貴方は 誰よりも 日本初 を 多く残し
東〇大学 病院 外科 助教授の身で有りながら
日本初の ドクターヘリで 外洋の救命救急の為に始めて
外洋に出た医師でもあり乍ら・・・
輝かしい成績・実績を残した・ のに、何故か
事実上 医学界から追放に近い処分を受け
謎の交通事故で!? 神経を傷つけ
手の震えが止まらず 外科医を辞め
それでも 不屈の意志で 内科・神経内科・精神科・で
最後迄 現役を通した事・最後迄・患者さんに 寄り添い
医師 と して 勤務を貫いた事は 賞賛に値します。
最後は、長野の田舎の総合病院に勤務医として勤務していたのが
知り合った経緯・・・何ですが
其れでも諦めずに 勤務医を辞めなった時に
二度目の交通事故で 最後は 松羽杖を突きながら診療に
当たっていましたね・・・
元・東〇大学大学病院 外科 助教授でありながら!
注)説明は不要かと思いますがあの日本最高峰と言われるブランド病院です。
当時の上司に当たる 外科教授の不正を認め
その地位を捨て迄 被害者の為に
日本の医療裁判で初めて 原告(被害者側)の原告側で証言をして
患者・の 正義の為に 総てを白日の元に晒し乍ら・・・も
最終的には 当時 味方に付いて居た 弁護団&新聞社(読売新聞)
からも見放された 後も 被害者家族の為に
最後は 個人資産で裁判を戦っていたのが現実・・・
個人財産迄・自宅迄抵当に入れ(捧げて)迄も
被害者側の味方に着いた
日本初の医師である事に 変わりは無い
正に 心から尊敬に値しえる人物です!
笑いながら 「私は日本初も多いですが貧乏なのも日本一ですよ」と、
言っていた先生の姿が今でも 脳裏から離れません
昨年、定年を迎えましたが 最後は 静かなモノでした・・・
先生の性格からしたら派手なモノは当然 辞退したでしょうが
言えなかった 言葉・・・
「私は貴方と知り合え言葉を交わす事が出来た自体が奇跡」
幸せに思います、
そして 貴方の身に 何が起き・何をされたか!?
知るモノとし 伝える事が 「我が指名」とし忘れたことは
一時も有りません
先生は 何時も言っていた言葉
私は不正&悪が許せないんです
正に 刺さりました・・
・・・ では、又。