檮原を出て、間もなく雨が雨が降り出しました。


取り敢えず、南下車


四万十といえば…
最近、生田斗真くんがやってる『遅咲きのヒマワリ』くらいしかアタマに浮かばない(笑)


って事で四万十川らしいとこで雨だし、近場は…?


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佐田沈下橋♪

沈下橋でも一番メジャーなスポットニコニコ
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ドラマのオープニングでキャスト陣が歌ってますよね♪


この橋車で渡ってみましたが、もっと水深あったような…


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正式名は、『今成橋』または『今成沈下橋』いまなりばしって言うそうです。


そして、ドラマの斗真くんが間借りしてたとこって…
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こんなとこじゃなかったですか?


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確信は、無いですが実際はカヌーを貸し出す所でした♪

っと雨足も強くなり、時間は16時…あせるあせる


宿毛発のフェリーは…
16時と(笑)

翌日、0時30分…


次の便までヒマガーン


道の駅や花の慶次 漢で時間を潰して、慶次が全くダメで今、19時30分…


あと5時間なんすっと?
(笑)


しかし、今回の土佐の旅はかなり充実した旅でした♪

14歳から想いを馳せていた坂本龍馬にどっぷり浸れ、改めて偉大さに感動し、龍馬を取り巻く周りの人々に恵まれていたから一介の浪人が幕閣や薩摩・長州の首脳陣と出逢い、そして肩を並べて維新に追力出来たんだと感じ、そして龍馬が亡くなって170年余り経った今もなお輝きを増し続けているのは、高知の人々に愛され続けているからだと思います。


ホントにどの地に行っても龍馬の文字を見たり、龍馬に関連する商品も沢山見てきました。

龍馬さんは、33年の生涯でしたが今いる私達は、100年足らずで皆この世から居なくなり、多くの人々が後世に語り継がれる事無く忘れ去られますが、龍馬さんあなたは、亡くなってから今までいや、これからも生き続けます。


桂浜の龍馬さんを見ているとこの国のあり方に、激怒したり時には褒め称えてくれたりしている事でしょう。


どうか、これからも日本の在り方を見つめ続けて下さい。
我々の未来を…。


今、何かを変えたい、変えよう!と思いたっても便利な世の中になりすぎて困難を極めるでしょう。

維新の会なんて簡単に名前を決めてますが、死にもの狂いで戦う政治家がいるでしょうか?私利私欲、政党、政権の事ばかりで震災で苦しむ人のためになるでしょうか?復興を尻目に脱原発や消費税の事ばかり選挙運動でウタッテます。


大それた事は、私には出来ませんが、文句言ってるだけしか出来ませんが…


ただ、龍馬さんの諦めない誠心だけは胸に秘めて自分自身小さな事でも少しずつ突き進みたいと思います。

遅咲きどころか咲かないヒマワリかもしれませんが…(笑)


今回の旅は、自分自身を見つめ治す良い旅だったと思います♪
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朝食を食べ、10時前にチェックアウトm(__)m

お世話になりました。

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ん??この街の異変に気付きますか?

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そう、電線が地中に埋められてて電柱がないんです。

エコな街です。

さて、龍馬脱藩の道を歩きます。
まずは、檮原 維新の道社中でお勉強♪

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龍馬は、なぜこの地檮原を脱藩ルートに選んだのか、脱藩前夜泊まった那須父子邸の再現など先にも説明しましたが檮原ゆかりの六志士の説明。


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その六志士の墓です。

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もてなしの町の原点とも言える茶堂です。他にも全部で13箇所あります。

県境にある檮原では、関所が多くあり、旅人をもてなす茶堂が設けられ今でも大事に守り続けられています。

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三嶋神社。

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川の向こうに橋を架けて社があります。

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ここで脱藩の志士達が祈りを捧げて日本の為に奔走して行った事でしょう♪

ここ三嶋神社には檮原の名前の由来となったユスの木が御神木としてあります。

境内脇から…

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いよいよ山深くなり、険しい山となります。

龍馬は、沢村惣之丞と共に那須父子の案内の下、韮ケ峠まで向かい脱藩したのです。


当時、藩を抜け出す事は大罪で自分は愚か家族までもが罪に問われる時代。


まさに、命懸けで土佐一国に収まりきれず日本の為に志しを持った決意の脱藩。又、その志士達を支援した人。
関所の番人が見て見ぬフリをしてくれた事など全てが脱藩だったのです。

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この町では、自分自身を変えたい。変わりたい。新しい事をしたい等思う人の事を『脱藩』と呼んでるそうです。


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絶景、千枚田を観て檮原を昼すぎに後にしました。


次は、3時間掛けて…車DASH!四万十川ですあせるあせる
雨らなければいいが…

土佐の旅最終日は、坂本龍馬脱藩の道と維新六(八)志士巡り。
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右から2番目が龍馬さんです。



幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩した。この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じた。また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があった。

それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていた。 いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれる。
ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。

その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。

維新の門「碑文」より

ここで檮原ゆかりの維新六志士を紹介。

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吉村 虎太郎(よしむら とらたろう)

天保8年4月18日(1837年5月22日) -
文久3年9月27日(1863年11月8日)は、幕末の土佐藩出身の志士。諱は重郷。一般には「
寅太郎」と記されることが多い。

土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)

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那須 信吾(なす しんご)
文政12年11月11日(1829年12月6日)- 文久3年9月24日(1863年11月5日)は、幕末期の土佐藩の郷士。名は虎吉。真吾。重民。別名に石原武之進。

土佐藩の家老を務める浜田光章の三男として生まれる。幼くして父を失ったため、郷士・那須俊平の娘婿となる。田中光顕の叔父にあたる。坂本龍馬に深く傾倒し、文久元年(1861年)に土佐勤王党に加わった。文久2年(1862年)には安岡嘉助や大石団蔵らと共に尊王を無視して藩政改革、佐幕を唱える吉田東洋を暗殺した上で脱藩し、長州藩に逃亡する。

文久3年(1863年)、天誅組の変に参加し、軍監を務めるが、鷲家村にて狙撃されて戦死した。享年35。

武勇に優れた怪力の持ち主で、走ることにおいては馬より速いとまで噂されたという。身長は六尺(約180cm)近くあり、「天狗様」と称されたという。

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那須俊平(なすしゅんぺい)
文化四年(1807)一月二日、坂本代吾(重隆)の子として梼原村に生まれ、同村郷士那須忠篤の養子となった。武芸を好み、那須道場を開き指導した。特に槍術に長じ、「土佐一槍の達人」と称された。

元治元年(1864)六月六日、玉川壮吉と脱藩、忠勇隊に入った同年七月、禁門の変に参加し、。奮戦の末同月十九日、鷹司邸後門で戦死した。 五十八歳

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前田繁馬(まえだしげま)

天保六年(1835)五月、松原村庄屋前田広作、妻きくえの長男として生まれる。那須俊平に剣を学び、文久三年(1863)一族の前田要蔵に従って上京。禁裏守護諸藩の志士と交わった。吉村虎太郎、那須信吾らと交わって勤王の志を固めた。

吉村虎太郎の挙兵に加わり、天誅組に入って大和に進撃したが、政変によって隊は壊滅、初瀬(奈良県桜井市)で同年九月二十六日戦死した。 二十九歳

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中平龍之助(なかひらりゅうのすけ)

天保十三年(1842)四月三日、梼原村地下浪人中平佐平(定好)、妻登根の長男として生まれる。那須俊平に剣を学び、同志と気脈を通じ、勤王の志を篤くする。

文久三年(1863)十一月六日、田所壮輔、尾崎幸之進、安藤(東)真之助らと脱藩、長州忠勇隊に入り禁門の変に参戦した。激闘の末重傷を負い元治元年(1864)七月十九日鷹司邸内で自決した。 二十三歳

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掛橋和泉(かけはしいずみ)
天保六年(1835)三月、梼原村那須常吉、妻歌の二男として生まれ、同村神職掛橋因幡の養子として入った。すぐ隣の庄屋吉村虎太郎と親交を重ね、勤王の志を固めた。

文久二年(1862)同志が相次いで脱藩、家が裕福であった和泉は、家財を費やして彼らを援助した。これが養母の知るところとなり、この詰責を受け、同志に類の及ぶことを恐れ六月二日自決した。 二十八歳


他にも龍馬と脱藩した

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澤村惣之丞(さわむらそうのじょう)

高知潮江村地下浪人の家に生まれる。文久二年春坂本龍馬とともに脱藩、勝海舟の神戸海軍塾に学び、亀山社中に加わって、英語を学び、通訳としても坂本龍馬の片腕となって活躍した。

慶応四年一月、幕府軍の敗退を知って長崎奉行は退散した。その奉公所を占領して市中の治安維持に当っているとき薩摩藩士を誤殺、「この大事のときに薩摩と土佐の間に溝を生じてはならない」と、従容として自決した。
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龍馬、土佐脱藩の地。檮原(ゆすはら)町へやってきました♪


宿となる雲の上のホテル別館『マルシェ・ユスハラ』さんです。


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なんとワラで出来てます。ここ檮原は、愛媛県との県境にあり標高400㍍の地。まさに、雲の上くもり


出発前から路面状況など気になり、連絡していたんですが無事到着。

これもここ檮原のおかげさま。丁寧な対応でわざわざ連絡を下さり「何時でもいつでも電話して下さい。道路状況などお伝えします。又、トンネルの出入り、日陰となる道では十分速度を落としてお気を付けて運転下さい。」との言葉を頂きました。


ここ檮原は、古くからの宿場町として旅人をもてなす心が根付いています。

司馬遼太郎の『街道を行く』でも檮原の千枚田など紹介された絶景スポットでもあります。


そして、雲の上のレストランで頂いた会席料理も最高でした♪

前菜
山くらげ菊花和え
スモークサーモン
小鯛西京焼き
カステラ新丈
百合根松風
鯨大葉味噌
杏博多
アカニシ貝酢味噌和え

造里


目近魚
烏賊
妻一式

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焼物
檮原産雨子田楽焼き
あしらい一式

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煮物
猪鍋味噌仕立て

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酢物
鰹のたたき
妻一式

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揚物
太刀魚湯葉巻き揚げ
青唐
京葱
南京
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洋物
牛肉ステーキ
生野菜

食事
ご飯
香物

吸物
鮮魚の清し仕立
占地
人参
三葉
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甘味
ケーキ
フルーツ
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…と
…こんなに


…食べれた(笑)
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こんなとこに上がって

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こんなとこを渡って



食べました。一人で(笑)
写メ撮りながら(笑)


女性と行くとこですねガーン
丁度、お昼となり

高知へ来たなら??

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ひろめ市場♪
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好きな席を選んで、食べたいお店で注文して、食べ終えたら回収してくれる要はフードコートの大衆的な所
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奥で炎が高く上がってるのが鰹の藁(わら)で炙るタタキ☆

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塩タタキを柑橘タレにつけて頂きますニコニコ

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四万十海苔の天ぷらもラブラブ!

どちらも激ウマ馬

そして、高知城へ走る人

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国宝の追手門から臨む天守閣☆
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どなたか解りますか?

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「板垣死すとも自由は死せず」
そう!自由民権運動の板垣退助です。


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大河ドラマ『功名が辻』の山内一豊公の妻の指先には?

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天守閣♪

小規模ながら、急な階段や年間雨量の多い高知ならではの工夫等、関ケ原後長曽我部家に替わって外様の山内家が長曽我部家に対する防御の城って感じがします♪


そして、またまた

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愛すクリンドキドキ

高知城を後に、龍馬に戻りますニコニコ


当初の予定は、香南にある『龍馬歴史館』というろう人形で龍馬を再現されてる場所へ行こうと思ったんですが…長期回収中との事で

坂本家の守護神を祭ってあり、龍馬さんが脱藩の前に参ったとされる
『和霊神社』へ向かいました。


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この写真の階段の奥の暗いとこまで上がると…

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ここで(笑)更に奥の暗いとこまで上がると

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コレですよ(笑)あせるあせる
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ようやく到着あせる汗


ここで…
自分自身を今一度、洗濯いたし申し候。

ここで、プチミステリー!この和霊神社には、明智佐馬之助という方が祭られていて龍馬さんの家紋は、組み違い升の中に桔梗の紋ですが、この桔梗が明智光秀の家紋で坂本龍馬は、明智光秀の末裔??というミステリーです。


そして、龍馬さんが脱藩した土佐藩最後の地檮原(ユスハラ)へと…

なんと、この和霊神社から車で約2時間標高400㍍の雲の上の地。

路面凍結、積雪を懸念しながらこの日は運良く午後から雨の予報で気温も高く…
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雪残ってますやん(笑)
でも、路面は大丈夫でしたがよくこんな距離をしかも徒歩で来ましたよねショック!


高低差ありすぎて耳耳キィ~ンなるわ!!!!


とにもかくにも無事、二日目の宿となる
『マルシェ・ユスハラ』へ到着しました♪