遂に迎えた5月11日。
岡田以蔵150回忌命日祭。
ここで、仏式と神式の回忌の違いについて少し触れます。

寺は、亡くなった年を一年目とし法事をします。
亡くなって150年は、来年2015年5月11日なのだが、150回忌となると今年なのである。


龍馬の出で立ちで、
「龍馬が以蔵の供養に来たぜよ!」
のつもりで向かった。

参加者は、高知県内・県外の以蔵ファンの方々や研究者。
地域密着のスーパー サニーマート薊野店の店員さんや薊野地区の方。

私は、兼ねてより本当の以蔵さんをもっと単に『人斬り以蔵』でなく知って貰うために、史実を記したパンフレットを作り参列した方々に配ろう!!っと作成した。





そして、来て下さった方全員に配りより詳しく記した資料を以蔵さんの墓前で奉納させて貰う場まで作って頂いた。





以蔵、辞世の句の通りまさに澄み渡る空だった。

そして、この命日祭の発起人で清酒『岡田以蔵』を作る酒屋さんやお店に前日来て下さり、命日祭にも来て下さった龍馬ファンの方とも知り合いになれ、後日には発起人の方がお店に訪れ以蔵の生誕地に石碑を建てる会の存在も知り、岡田以蔵懸賞へ一歩近づいた。

先だって、挨拶に行った桂浜の坂本龍馬さん、仁井田に眠る武市瑞山も「以蔵を頼むき!」っと言ってくれてる様で、今回の出逢いを下さったんだと思って止まない。





文久2(1862)年3月24日高知市内を立ち、25日梼原村で一泊し、翌26日、坂本龍馬・沢村惣之丞は、梼原(ゆすはら)郷士・那須俊平の案内で土佐(高知県)と伊予(愛媛県)の県境、韮ヶ峠(にらがとうかげ)までそぼ降る雨の中駆け抜け、土佐藩を脱藩していった。




現在、旧暦にあたる4月24日の前後に龍馬が歩いた脱藩の道を歩くウォーキングイベントが梼原町で行われている。

4月26日、梼原町四万川区六丁に新たにガソリンスタンドがオープン。そのオープン記念と脱藩ウォーキング前夜祭も兼ねて行われた宴。OTOGIも駆け付け成功を祈願し、2時間に及ぶライブ!!



最後は、皆で脱藩テーマソング
『蒼い風』を大合唱。

翌日、8時半。
四万川区六丁から、標高約1000メートル、距離約10キロの韮ヶ峠を目指しウォーキングがスタートした。



途中、春を感じさせる木々や花々をめでながら気持ち良く感じるが次第に勾配のキツい山間へと入っていき登るは登る…ウォーキングとは、名ばかりで登山へと変わる。

前半は、ひたすら登り中盤は、下り坂や平坦が続く。


韮ヶ峠まで、最後の心臓破りの2キロの急な登り(゚Д゚;)

紋付き袴に地下足袋のボクは、初めての経験に不慣れな衣装、地下足袋の足は痛いはでヘトヘト(@_@)

そこで新聞記者の取材攻め…

約4時間かけて、ようやく韮ヶ峠へ♪

あれが、県境ぜよ!



龍馬さんから脱藩認定証の授与!



ゴールで、出迎えてくれたOTOGI!

最後は、皆で記念撮影♪


かなりのキツい峠越え、決死の覚悟で脱藩していった龍馬を感じながら心地よい脚の痛みと達成感を感じ、土佐人から日本人となった龍馬同様、広い視野で志を果たす為に気持ちを引き締めて行きます!

翌日、朝刊にボクらが!!
2014年4月11日
高知県は香南市土佐山田町神通寺へ2人は向かった。


ここは以蔵の父、義平が土佐沖に現れた外国船に対する海岸防備のため郷士・足軽として徴募されそのまま城下の七軒町(現代の高知市相生町)に住むようになるまでの以蔵の先祖が眠る地(先塋せんえい地)いわば、岡田家の本家がある地である。


突然のアポに快く面会を引き受けて下さったのは、岡田家四代目 岡田義一(よしかず)さん(90)。




義一氏は、自身の趣味で川から大きな岩を軽トラで運び、池に鯉を飼いそれはそれは素晴らしい日本庭園を自ら作り上げ軽トラが2日で大破したという。



彼自身、海軍の特攻の話や散って逝った戦友の話をして下さり、国防に携わるうちに先祖である岡田以蔵も国のために散って逝った一人であると認識し、それまでは罪人としてしか語られなかった以蔵の実態だが、佐川町立青山文庫名誉館長であり著者の松岡司(まもる)氏の本
『正伝 岡田以蔵』
を手に「これが、一番以蔵を詳しく正確に書いちゅうぜよ」っと語った。



そして、今回訪ねた趣旨を説明し慰霊祭で配りたい資料をお渡しした。


以蔵の先祖や弟、啓吉の話や以蔵の生まれた相生町付近は、山田獄舎の名の通り山田町とも言われており山田町というのは土佐山田町から移り住んだ人々が多く、山田町と言うようになった話や

家からほど近い場所に岡田以蔵以前の先祖の墓がありその墓は、当時からすると立派な墓で坂本龍馬の先祖の地、才谷村の墓(才谷屋以前の先祖の墓)よりも立派で岡田家は、裕福であったのでは?と語る。

そして、岡田以蔵の遺品とされているピストル(厳密には、フランス製のリボルバー)を見せて頂いた。





これは、以蔵が京都で『天誅の名人』と呼ばれ暗躍した後、八月十八日の政変を
期に土佐勤王党は衰退し、弾圧へと傾いている頃以蔵は、姿をくらまし江戸へ向かう。
坂本龍馬の紹介で勝海舟の護衛をしている。
その際、龍馬からもらい受けた?
とされるピストルが、弟・啓吉に渡り代々伝わっているという。

そんな短銃を素手で触らせて頂いた。



義一氏は、「博物館まで行ったぜよ。」

っと嬉しそうに語って下さった。

勿論、個人所有の為登録証もある。




約2時間程、貴重な話をして頂いた。

そして、来る5月11日の以蔵の慰霊祭の話で私が作った資料をお渡しし、墓参りに来て下さった方にパンフレットとしてお配りしていいかの承諾を頂いた。

「色々、全国から以蔵が好きや。とか研究者やら以蔵の酒を作る。言うんがワシんとこ来て許可を貰いに来ゆう、ちゃんと来てくれるんは嬉しい事やね。」っと義一氏

そばにいた娘さんも「本当にありがたい事です。」と行ってくれた。

「ワシももう歳やき、墓にはよう行かん」っと

以蔵の生涯から代々生きてきた子孫の方は、決して世間にもてはやされる事もなくひっそりと暮らして来た。
英雄視され続ける龍馬とは、真逆の人生が
子孫にまで影響する。
公表したくない子孫もいる。

そんな中、岡田義一さんに会えた事は、この上ない感激と義一さんの顔つきからは、以蔵の面影を追う自分がいた。

岡田以蔵の血が繋がった方を目の前にして、岡田以蔵とはきっとこんなに優しい方だったんだと思わずにはいられなかった。

どうか、金の臭いがする輩が岡田以蔵の子孫だ!っと祭り上げ、岡田家のペースを掻き乱す様な事は、しないで欲しい。

国のため、友のため、修羅になった以蔵。

忠義を貫き通し、一筋の剣の道を全うした以蔵。

誰もが持つ孤独や闇。

そんな岡田以蔵の冥福・岡田家の繁栄をいつまでも願って。

そして、2014年5月11日。
岡田以蔵没後150回忌を迎える。
以蔵の歴史を調べた上で、資料を作り墓を守る代表の方に会った。

2014年4月9日。

もっと以蔵に脚光を浴びて貰い、ボクらが考える慰霊祭をぶつけた。

地域は細々と毎年慰霊祭は、命日である5月11日にやっているが高齢化が進み存続の危機だと語る。

しかし、派手にやるのは別でやってくれと消極的だった。

資金も無いし…
と語るが、ボランティアで仲間を集め龍馬脱藩祭のように地域が中心となってそれに協力して続けて行きたい!と伝えるが、いや、あまり騒ぎ立てないでと言った感じで消極的だ。

拉致があかない…。

やる気ある地域の若い力でないと事が進まない。

ボクらは、代表へ慰霊祭に龍馬の格好をし参加する事と当日、以蔵の資料を配布する許可だけは頂いた。

しかし、ボクらの思いに賛同しつつも協力する力も若さも無いと言った感じだ。


喜んでくれただけ、収穫であった。

そして、2日後ある人へ会いに高知県は香南市土佐山田町神通寺へ2人は向かった。
2014年4月9日
墓保存会の会長さんと連絡を取って2週間が過ぎた。

その間、以蔵の歴史を調べた。




簡単に説明するが、彼は、龍馬より3歳年下だが龍馬よりも早くに徳弘孝蔵に西洋砲術を学びこれは、近年発見された龍馬、武市を含む学んだ事は、他言しない事を誓った血盟書に彼の名前と血判がある。

そして、武市に師事し武技を認められ藩よりの賞金を貰い、実力で江戸へ剣術修行へ行き、鏡新明智流桃井道場に入門している。

先に入門していた武市と同時期に最初の目録を伝授されている。

そこから約5年間、武市と共に各藩の情勢調査や多数の流派と試合を重ね、四国・中国・九州と武者修行をし、剣の腕を磨いている。

九州を縦断する中、ボクの出身 延岡藩までも訪れている。

それから江戸へ、戻り土佐勤王党へ加盟している。   

土佐へ戻ると以蔵は、土佐藩参勤交代の衛士に抜擢され京へ上る。


そこから、数々の暗殺に手を染めていく。
約9軒の暗殺に関わったとされているが、必ずしも全てとは言い難い。

当時、
『天誅の名人』
と呼ばれていたが、
『人斬り』と言う言葉は、後に言われだした言葉で造語である。

八月十八日の政変以来、土佐勤王党は劣勢となり、武市をはじめ勤王党同士は吉田東洋暗殺容疑などで、次々に弾圧され捕らえられ以蔵の居場所は無くなる。

土佐藩に届け無しに行方不明となり、事実上脱藩した事となる。

江戸で高杉晋作や坂本龍馬に会い、龍馬の紹介で勝海舟の護衛をし、天誅の剣から護身の剣に変えるが師への忠義は捨てる事が出来ず勝や龍馬の元を離れてしまう。京にいた折、捕らえられ金も無くコジキ同様に風貌が変わった以蔵は、京都奉行からは以蔵だとわからず無宿者とされ、刺青を入れられ名前も無宿者鉄蔵とされていた。


以蔵だとわかると、土佐藩へ送還され投獄。日々の拷問で以蔵は、次々に仲間の関与を自白する。

この自白が、仲間を、裏切ったとされ後々の贈位もされず顕彰も無い。

しかし、
「彼を利用し、先に見捨てたのはおんしらぁやいか!」っと…

君がため剣を、磨き尽くしてきたのに水の泡だ。全て無になり消えた後には死を覚悟し、悔いも無く澄み切った空しか見えない。もしくわ、後は、澄み渡るべきだ。

っと…


一筋の剣の道に生き、師・仲間・国のために尽くしてきた忠義の心。

以蔵ばっかりが、可哀想やいか!!


ボクは、桂浜の龍馬さん。
仁井田に眠る武市さんに以蔵さんを顕彰する事を誓った。


パンフレットもようやく手を加えたり、レイアウトの関係上削らなければならなくなったりと苦労を重ねた。
逸話が多く、誤解を招かない真の以蔵を伝える為、残酷な事実にも目を背けれない。






あとは、あの方に承諾を貰うだけだ!