起きた出来事に、意味や感情を持たせているのは、
他でもない、自分であるということ


例えばパソコンが壊れた。
という”出来事”。


これを、
「役目を終わったんだねー。今までありがとう!」と、思う人も居れば、
「こんな時に壊れるなんて!!ついてない!」と思ったり。


「これで、新しいパソコンが買える♪」と思ったり。
「うわーーっ。出費がーーっ!なんでこんなときにー」と思ったり。


「形あるもの、いつかは壊れるよねぇ」」と思ったり。
「壊れるパソコンなんて作るなーっ!!!」と思ったり。


「何かの身代わりに壊れてくれたのかも」と思ったり、
「なんか。。不吉な予感」と思ったり。

・・・・・。


色々。もっともっと。


そのときの”心境”や、そのときの”環境”。
勿論、タイミングもあるけれど。


1つの事柄にたいしても、様々な"感情”や”意味”を持たせられる。

それは、「人それぞれ」の感じ方。


十人十色。ひとそれぞれ。


プラス思考の進めではなくて。

何か起きたときに、ちょっとだけ、「出来事に意味や感情を持たせているのは
自分であること」を思い出すと、
「自分」が真ん中にたっているような感じ。


起きたことに対して、自分が今どう思ったか。


それをちょっとだけ客観的に見たりすると、
自分の思考の癖みたいのがわかったりして面白い。


って、毎回できるわけじゃないけど、ちょっとずつやると「新しい思考癖」が
できるかも~。


と、なんだか浮かんでくる言葉達を書き留めてみる。


思考癖については、

ココまで(首あたり)出てきてるのだけど、言葉にならないから、

そのうち。笑。




「自分はどうしたいか」。

最近、この質問を自分に投げ掛ける癖ができてきた。

「こうしたい」という気持ちがあっても、
それを阻止する言葉たちも沢山出てくる。

でも、核はやっぱり「自分はどうしたいか」の答え。

「でも」。
がさえぎり、「でも」のあとに続く言葉は、
たいてい変化への恐れ。

そして、
「起こってもいないことへの心配」。

本当にやりたいことは、
案外決断できるもの。

迷うときは、
ムリに結論しなくても、
少し時間を置いてからでも
いいのかも。

最終的には、
「どんな結論や結果でも、その中から学ぶことが沢山あった」と、
自分が出した答えを
全部受け入れられたらいい。

自分が、自分で、自分の決断を卑下したり、間違っていたと
することが、一番怖い。

なにがあっても大丈夫。

「自分はどうしたいか」。

自分の決断を、受け入れ、愛せそうだったら進もう。

昼のひとりごと。

自分らしく、自分のペースで


そういってくれる人が居る。


どうしても、早く結果を出さなきゃと思ってしまう。


周りに迷惑をかけちゃだめだ

周りに心配をかけちゃだめだ


いつの間にか、そう考える癖がついてしまっている。


けれど、

じっくりと、待ってくれる人も居てくれるんじゃないかな。

自分のペースで進んでいれば、大丈夫。


全部OK!


そう、見守ってくれる人も居る。


「OK」なんだ。

自分がダメだと思っていたことも、OKって言ってくれるんだ。


もう、頑張らなくていいんだよ。


そう、理解してくれる人も居る。


「頑張らなくていいんだ」。

ふと、力を抜ける。


○○○ちゃんなら、絶対大丈夫。


ダメ」じゃないんだ。大丈夫なんだ。私でも。


自分を毎日、毎時間ダメだししているのは、自分。


なかなか厳しいじゃないかー。


自分は自分を応援しちゃだめなのか?


自分が自分を応援したいと思わないか?


そろそろ、ムチを旗に持ち替えて。

応援しようじゃないか。


本当に、自分が自分の一番の応援者、理解者になって。