1959年の春、私は都内の産院で生まれた。2,400グラムと小さくて当時は未熟児といわれた。現在は低体重児というようだ。妊娠中毒症の原因になるとか、難産になるからとか、今の妊婦さんは体重管理が厳しいらしい。小さく生んで大きく育てるのが理想なのかな。2,400グラムがそんなに小さいとは聞かない。

 

 昭和30年代半ば、戦争直後とは言えないが、まだまだ「大きいことがいいことだ」という風潮があっただろう。2,500グラム以下だと保育器に入るらしいが、4月ということで

「気候もいいから大丈夫でしょう」

と先生に言われ、私は免れたようだ。もちろんその頃の記憶はないが、母は

「胴体が茶ツボくらいの大きさしかなかった」

と私が大きくなってからも手でそのサイズを示しながら、よく振り返っていた。

 

 我が家は自営業だったので、それはそれは忙しかったことだろう。加えて、私は体重が軽かったため保健婦さんにも指導を受け、早々に母乳からミルクにきりかえられたらしい。抱っこして与えられることもなく、寝かされて、ぐるぐる巻いたタオルを顔の横に置き、それで哺乳瓶を支え、勝手に飲まされる。そのうち、半年もすると上手に手に持って飲んでいたらしい。

「ふと見ると、空っぽになった哺乳瓶が部屋のすみにころがっていた」

なんて母は語っていた。

 

 ゲップなんてどうしていたんだろうねえ。今ではイクメンパパが赤ちゃんを立て抱きにして、一生懸命背中をさする。ゲップがうまくできないとママが保健師さんに相談する。

 

 翌年、弟が生まれた。それほど小さくはなかったようだが、私同様、丸々太ることなく育った。

 

 そのまた数年後に妹が生まれた。私より1キロも重たい新生児だった。それでも母は気になり、薬局で

「太るミルクください」

と言って、私と弟が飲んだ粉ミルクと別の銘柄のものを飲ませていたらしい。

 

 薬屋さんも困っただろうな。森永も明治も雪印もそれほど変わらないはず。けれど、写真を見ると、ガリガリだった私に比べ、妹はずっとムチムチしていてかわいかったな。