ある時、夫と自分たちの小学校の遠足の話になった。ということは、今から50年以上前のことだ。私たち夫婦は2人とも東京都出身で、学校は違えども小学校の遠足や社会科見学となると、案外と同じような場所に行っていた。特に、高学年になると社会科見学として「都内めぐり」や「工場見学」なるものがあり、「皇居」「毎日新聞社」「コカ・コーラ工場」などは、お互いの記憶の奥底にあった。
夫は皇居でお弁当を食べたが、その時、ホームレス(当時は、乞食と呼んでいた)の人に自分のおにぎりを渡したらしい。その時の気持ちははっきりと覚えていないが、気の毒に思ったと。
母親だって、我が子のお弁当に、適量は考えたはずだ。食べきれないほどの量をもたせてはいない。だから、夫だって
「お腹いっぱいで食べきれないからあげよう」
というより
「少し我慢してでもあの人にあげよう」
と思ったのだろう。夫は心根の優しい人だ。私は夫がとった行動に
「あぁ、彼らしいな」
と思った。思ったら、すぐに行動してしまうところも。
ところが、担任の先生に怒られたと言う。12歳の子どもが成人男性におにぎりを渡す姿が先生には忌々しい映像として映ったのか?ものすごい剣幕で
「働かざる者食うべからず」
と怒られたと。夫はそれ以外の記憶は無いみたいだ。
でも……
「怠けて働かない人に握り飯をやる必要はない(食べる権利はない)」
この言葉は、夫ではなく、先生としてはそのホームレスの人に掛ける言葉ではないのか?そして、生徒には別の言葉があったのではないか?でもでも別の言葉って?私が先生だったらどうしていただろう?
生徒の行動、見て見ぬふり、できるかな?
「優しい気持ちを持っているね」
と生徒をほめる?それも違う?だからと言って
「乞食に(あ、ごめんなさい、ホームレスさんに)食べ物をやるな!」
と言えるか?とりあえずの
「このおにぎりは○○くんのおかあさんが○○くんのために朝早起きして作ったから、しっかり食べよう」
ってなところ?けど、そう言ったとして、ホームレスさん問題はどうなるの?
時代は流れているから、半世紀も前の話題を今考えるのは無意味かもしれないけれど、あの時の先生に聞いてみたい。どうして怒鳴ったのか、私にはわからない。
もしも深く思いを巡らせるとしたら「そういう時代だった」ということか?
戦争直後とは言えないが、
「汗水たらして働いてお金を得る」
として、国民が生きることに懸命で、団結して経済成長に躍起になっていた時代だからこその言葉だったのかな。
当の夫は普段のその先生を知っていて、慕っていたようだったから
「あんまり覚えていないよ。『そうなのか』と思っただけ」
と言う。その先生は数年前に亡くなられて、今となってはお聞きすることもできない。私とは縁もゆかりもございませんが。
こういうこと、考えるの好きな私なんだと改めて思う。子育てについて持論を展開させたり、子どもとのやりとりが好きな私ならでは、です。
解決しなくてもね。