15年勤めた会社でリストラにあい、達也はコロナ禍で主夫をしていた。達也はもともと子育てや家事が好きだった。妻が第3子の出産を控えていた。長男次男も保育園から、なるべく当園を控えて欲しいという要請がきていた。

 

 同時に、以前から興味のあった保育士の資格を取った。オンライン授業を受けるだけで、資格を取れるということは都合が良かった。ここだけは、コロナのおかげだ。あの時、妻が賛成してくれたこと、達也は心の底から感謝した。子どもの教育費に充てようとしていた貯金を崩してしまったが。

 

 我が子とゲームができることさえ、生きているって感じがした。一緒に宿題もやった。ネットで届く食材を工夫して使い、子どもとお料理もやった。達也にとっては、大きな喜びだった。

 

 何より、コロナ禍で、妻が無事に出産までこぎつけ、元気な女の子を出産した時は、今までにない感動だった。待望の女の子だった。自分の目で子どもの成長を見られるのは最高の贅沢だ。

 

 コロナが5類に移行する直前に、達也はいくつかの園の試験に挑み、『子リス保育園』で採用された。

 

 昨年のクリスマスの飾り付けに取り組み始めた時期のことだ。園長から話があった。

「達也先生はご自身のお子さんのオムツ替えもなさるし、慣れていらっしゃると思いますが、今後、オムツ替えは、女の先生にお任せしましょう」

オムツ替えに関しては手を出すなってことだ。

 

 それにしても、年中になってもまだオムツって‥‥‥。それが今の世なのか?園長先生の言葉に、納得しながらもどこか腑におちない達也だった。

 

 達也はその昔両親に

「またおもらしして!」

とおしりをたたかれたことを忘れていない。3歳の時のことだ。達也は4兄弟の三男だった。晒のオムツを縫って洗濯する時代はとうの昔だが、紙オムツ代だってバカにならない。早々にトイレトレーニングをさせられ、2歳半では、ほぼオムツは外れた。その時はたまたま失敗したのだった。今でも実家に帰った時、両親にそれを話すと

「そんなこと、あったか?」

と父はすっかり忘れている。そして決まってみんなで大笑いするのだ。

 

 それが今じゃどうなんだ?

「大人になってもオムツしている人なんていないから大丈夫よ。必ずいつかとれるから」

と皆、口をそろえる。それは間違いじゃないだろう。だからと言って放っておいていいとは思わない。

 

 つむぎちゃんは、ほとんど失敗はないが、寒くなってきた頃、お昼寝の時だけオムツをつけるよう母親からお願いされた。夜寝るとき、長時間の乗り物移動などでも紙パンツをはかせていると言う。自分でも堂々と

「つつつむぎはね、ねるときだけかみのぱんつなんだ」

ってみんなに言っている。恥ずかしくはないのか?母親は神経が細やかな人だ。幼稚園の貸布団を汚すのが申し訳ないからともっともな理由をつける。それより、早くオムツを外すしつけをして欲しい。お尻を叩けとは言わないが。明らかにオムツのとれる年齢が昔より上がっているように思う。

 

 保育園の指導だけでは限界がある。達也の本来の声が頭の中で渦巻く。保育園の先生という自分、父親という自分、しっかり分けた考えと行動 をしているつもりだが、時々、片方が別の場所で頭を持ち上げる。いけない、いけない、疲れているな……。

 

 あの日、たまたまつむぎちゃんはお昼寝でおねしょをして途中で目が覚めてしまったようだ。みんなの前では恥ずかしいだろうと、達也はみんなが寝ている間に急いでオムツ替えをしてしまった。パンツタイプだし、問題になるなどと、思いもしなかった。

 

 達也はこの保育園で働き始めたときから年中か年長のクラスだけを担当してきた。大学まで柔道を続けてきた達也は180センチ、90キロという体格の持ち主で、垂れた目が子どもに人気があった。高い高いをすれば、子どもらが我先にと列をなす。子どもの好きな達也は毎日が楽しかった。

 

 ただ、着替えやオムツ替えの多い乳児クラスに配属されることはなかった。自分だけは保湿剤を塗ることさえもできない。子リス保育園のきまりだ。達也はそれは納得していた。今のご時世だ。仕方がない。

 

 子どもを5人も育てた友子先生が、口にした。もちろん、保護者のいない所で‥‥‥。

「私の友だちが言ったのよ。『オムツトレーニングもお箸の持ち方も全部保育園でしつけてもらったの。だって、私はずっと働いてきたから』って自慢気にね。こっちは5人分やってきたわよ。親だもの。なんだかその時はちょっとイラッとしたわ」

ひそひそと小声であったが、笑い声はいつも通り大きかった。達也も一緒に笑った。友子先生は達也の母親と大して変わらない年齢だ。

 

 達也は友子先生のエプロンのシミを見ていた。先生の豪快さを表しているようだった。

 

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