純子の母、政子には経営の才があった。地域に子どもの数が増え始めた時代、その波に乗り、ひと学年ひとクラスだった園もどんどん拡大し、ピーク時には全園児数は200人を超えた。
特別に何かに特化しているわけでもなく、これといったアピール部分があったわけでもない。それでも、入園試験当日の朝には、保護者が朝早くから並ぶようになり、ある年からは整理券を配ったほどだった。
「やっぱり幼稚園側にも定数はあるから、最後の合否の決め手は並んだ順番の受験番号らしい」
なんて噂が保護者の間で真しやかに流れ始め、かけもち受験をする子どもまで現れた。政子は受験した子どもはすべて入園許可証を出した。子どもの多かった時代だからこそ、の話だ。
政子の笑顔と腰の低い姿勢は、保護者にも他の幼稚園や小学校関係者にも地元の人々からも好かれた。何かお役を頼まれれば、二つ返事でオーケーを出し、長年H市の幼稚園長代表も勤めた。そんなところも信頼に繋がったようだ。
が、時代の流れで園児数は減り、周りの幼稚園がポツポツと廃業し始めた。後継者問題もあったようだ。
そんな中、政子は水曜日の保育を午後までとした。一般的に当時の幼稚園は水曜日と土曜日が午前保育だった。それを水曜日に寄せて、土曜日は完全休日とした。これは保護者からも先生達からも評判が良かった。
「どうせ行くなら、長く預かってほしいわよね」
「水曜土曜は、送ったと思ったらあっという間にお迎えだものね」
そんなママたちの声をうまく経営に取り込んだのだ。週休2日制度を幼稚園にも確立させた。
さらに1週間のうち、2日を給食の日と決め、地元のお弁当屋さんと提携した。その後、園バスを取り入れた。園児数が大きく伸びた。
「保育延長券」を販売し、前以て申し込みをすれば、午後5時まで預かる保育を導入した。これも保護者に大好評だった。そうやって、『子リス幼稚園』は、ある規模を保ってきた。
さらに「子ども認定園」の制度が始まってからまもなく、認定を受け、幼保連携型の幼稚園として地域に大きく根をはった。元々保育園と幼稚園は全くの別物。前者は厚生労働省、後者は文部科学省の管轄だ。幼稚園は教育現場であり、保育園は保育を提供する生活支援の1つの場所である。それを合体させたのが認定園となる。
政子の才により、『子リス幼稚園』は、『子リス認定園』として歴史を作っていくことになった。
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