先日実家に行くと、母が待ち構えていたようにしゃべりだした。何が何だかわからなかった。92歳、言いたいことを相手にうまく伝えるって難しいようだ。私だって、人のことは言えない。
「お店のお兄さんに直してもらおうと思ったけど、『できない』って言われちゃったんだよ」
いきなりこれですからね。何が壊れたのか?お店のお兄さんって誰?話はそこから始まる。
どうも寝室に置いてある時計が止まってしまった(電池切れ)ので直してもらいたかったらしい。電池も家にはなかったみたいだ。あったとしても昔から機械ものが苦手な母、目が見えにくくなった母、「電池の入れ替え」すらもできなくなってしまうんだな。せっかちな母は、ヘルパーさん、妹、私を待つこともできなかった。
母はベッドに寝ているが、枕元には懐中電灯しか置かない。何か置いて、地震でもあって自分の頭や顔に落ちてきたら怖いから、とベッドから少し離れたところに比較的大きな時計を置いている。夜中に目覚めて時間を確認するのに、目覚まし時計や腕時計のような小さなものではよく見えないという。夜光塗料が塗ってあってもよく読み取れないと言う。だから、その置時計に懐中電灯を当てて時間を確認する。
お店のお兄さんというのは、近くにあるコンビニのお兄さんのことらしい。母は、週に1回はヘルパーさんにお買い物を頼んでいるが、頼み忘れたものや、どうしても気になる事件や事故、世の中のことが知りたくて、新聞を買いに行くこともある。そうそう、公共料金も水道料金だけは口座引き落としにしていなくて、定期的にコンビニに支払いに行く。このアイディアは、なかなか良かったと妹とも話している。人との交流は大事だ。
そして、母はその壊れた置時計を風呂敷に包んで、シルバーカーに乗せてコンビニまで運んだ。
「この時計は大事なんだよ。これが寝るところに置いてないと、不安なんだよ。これが壊れたら生きていけないんだよ。だから朝早かったけど、お店に行ったんだよ」
それは大げさだと私は思ったが、最近の母は
「これがないと生きていけない」
「考えると、夜も眠れない」
フレーズを多用する。
その話を聞いて、店員さんがどうしてそんな簡単なことを「できない」と言ったのか、私は不思議だった。が、腰が直角ほどにも曲がった、よろよろのおばあさんがいきなり入ってきて、それなりの大きさの時計を風呂敷から出し、電池を取り換えてほしいって言われたら、怪しい。そうそう、肝心な時刻ですが、午前5時です。
電池交換をして、もしも直らず 相手(母)に
「壊した」
なんて言われてもお兄さんとしては困る。そんなこと言う母じゃないことを知っているのは、身内だけだ。
もしかして、その若いお兄さんは電池交換も知らないの?先日、あの、あの芦田愛菜ちゃんが、レコードプレーヤーの使い方を知らなかったとテレビでやっていてびっくりした。指かけがついたレコード針を人差し指でそうっと持ち上げ、レコード盤の端に優しく乗せる。それがわからないと。
さらに、缶切りの使い方、ダイヤル電話のかけ方も知らない若者がいるとも聞く。でもそれらは今の生活において目にしないものだから、当然と言えば当然だ。でも電池交換は今も何かで必要な作業だから、さすがに「知らない」はないだろう。
母の起床時間は毎朝午前4時であることを私は知っている。いつものコンビニのお兄さんならばやってくれると思って、母がとった行動も私には理解できる。でも他人にとっては怪しい人物に写ること間違いなし。
母は
「直してもらったら、お兄さんに千円を渡せばいいと思った」
とも言っていた。つぎはぎをしてまで古い洋服を着て、使えるものは最後まで使い、贅沢もせずに暮らす母だが、人とのつながりは大事にする。水道のメーター確認に来る方に手紙を書いてリポビタンDまで置いておいたりする。
結局、その日母は、電池だけ購入して戻ったらしい。私は最後まで話を聞き、不満そうな母に、
「今は、きっと、そういうことはやってはいけないと会社から言われているのよ。お兄さんが意地悪なわけじゃないからね」
と説明をした。母はそれでも納得はしていないようだった。
おかあちゃん、90年も生きてきたからね、世の中も変わるのよ。特に今は変化のスピードが速いよね。コンビニは電気屋さんじゃないのよ。商品を売るだけなのよ。電池を入れ替えることなんてお兄さんにとってはきっと、朝飯前の作業だけれど、昔みたいに、知らない人が
「これ、手伝ってもらえるかしら?」
って言って
「お安い御用だ」
って引き受けてくれる時代じゃないのよ。
昭和一桁生まれが今の時代を生きていくって大変なことだ。 その昔、自分が生活してきたその様子がすっかり様変わりしている。人との付き合い方、間のとり方も違うのだ。
結局、その日、お風呂介助で訪れたヘルパーさんにやってもらったみたい。話の最後には
「本当にありがたかったよぉ」
って母は、涙をこぼしていた。
