昨日、夕方、孫Bちゃんから電話があった。
「おばあちゃん?今からおばあちゃんの家に行っていい?」
我が家から数分の距離に住む2年生の孫だ。
「いいけど、どうしたの?ご飯は食べたの?」
「ウン、あのね、今度、音楽発表会があるのね。その時にシンセサイザーをやりたいのね。でもやりたい人がたくさんいるから、オーディションがあるのね。だからおばあちゃんの家のピアノで練習したいの」
「えっ?シンセサイザー?Bちゃんは『やりたいです』って自分の希望があるのね?それ、すごいねえ。『自分はなんでもいいや』って思わなかったの?」
「ウン!シンセサイザーがやりたいの」
「じゃあ、待ってるからね。帰りは暗くなるから送っていくからね」
孫Bちゃんの家には鍵盤楽器はない。
それで思い出したことがあった。次男が幼稚園の年長のときの音楽発表会。当日、舞台の上で満面の笑顔でシンバルを打ち鳴らす次男を見て、私はとても嬉しかった。彼はどうしてもシンバルがやりたかったらしい。
ところが、音楽会終了後に担任から話を聞いた。シンバルはもう1人、女の子が希望していた。どちらも譲らない。そこで先生はじゃんけんで決めようとした。結果、次男は負けて、他の楽器を選ばなければならなかった‥‥‥が、彼があまりにもがっかりしているのを見て、女の子が譲ってくれた。すぐに次男はありがとうを言ったらしく、先生はそちらを誉めてくださった。けれど、その裏には
「お宅のお子さん、じゃんけんで負けたのに我を通しました」
が隠れている気がした。
私はもう、その女の子に申し訳なくて、後日謝った。そのママにも謝った。女の子はニコニコしていた。ママに至っては
「えっ?そうだったの?あの子、兄と弟に挟まれて気が強いから、そんなこと信じられないけれど、私はなんだか嬉しい。『どうぞ』が言えて嬉しい」
とまで言ってくれた。
次男は「どうぞ」が言えなかったってことだ。そして、謝るよりもこういうときはありがとうを言うべきだったと私は後から気付いた。本来ならば、きまりを守れなかった次男を叱るべきだったか。彼はわがままってことじゃないの。
でも。
我が家、私も夫も自分を出すのが苦手だ。
「私が、私が!」
って小さい頃からできなかった。手を挙げることも苦手だった。担任からは「積極性が足りない」とまで言われた。
夫は長いことスポーツをしてきたのに、やっぱり人前でアピールしたりすることが不得手だ。そんな私たちの子が、自分の希望を強く表に出したってことに驚いた。喜びすら感じてしまった。将来、この子はどんなふうになるのだろうかと。母としていろんな思いが交錯した出来事だった。結局、彼は普通でしたけど。
この度の孫Bちゃんにはオーディションが待っている。そこでどのように誰が判定するかは知らないが、じゃんけんとは違う。ピアノのおけいこに通っているお子さんもいるだろう。2年生といえば、それなりの曲を弾きこなす子もいると思う。Bちゃんは楽器の類は何もやっていない。
そこに挑戦する孫Bちゃんを応援しようと思う。そして、大事なのは選ばれなかった時のこと。
「いいの、いいの、私はトライアングルになったんだぁ~」
って笑って言ってくれたらいいな。いやいや、大泣きして
「ぜったいシンセサイザーやりたかったぁーーー」
もありだ。
どちらにせよ、音楽発表会に元気な姿で舞台に立てたら、それだけでばあちゃんは満足だ。これがばあちゃんの余裕というものなのかな。