私の知人に都内の地下鉄の路線図をすべて把握している人がいる。驚きです。一体駅はいくつあるのだろう?乗り換えなどもすべてってことは、その方の頭の中にあの路線図の絵があるのかなぁ?
私は小学校4年生の時の社会科のとある授業を覚えている。その頃「白地図」ってのがあって、日本地図とか東京都の地図とかが書いてある副教材の冊子だった。文字通り白で、色なんてついてなくって、どのページも黒い線だったり、点線だったり、薄いグレーとかで書かれていた。あるページには東京都の各電車の路線図があった。まあ、そこに色づけたり、書き込みをして仕上げていくということだ。
眼鏡をかけた口数も笑顔も少ない男の先生が担任だった。路線図のページを開くことを指示した後
「乗ったことのある線に色を塗りなさい」
と。
10歳の私はちっともわかならかった。親に連れられて出かけるのがせいぜいだから、駅の名前なんてわからない。「新宿」くらいかな、その頃の私が知っていたのは。とりあえず自分の最寄り駅を中心として左右にその線路を赤鉛筆でずーっとなぞるように塗った。根拠もなく。それだけっていうのが何だか恥ずかしくて、他の線路にも勝手に色を付けているうちに、それがどんどん広がって楽しくなってしまった。乗ってもいないのに嘘をついたってことだ。まるで塗り絵だ。
そこでふと我に返り、隣の男子のノートを覗いた。赤い線が私よりもたくさん広がっていた。私の席から斜め前に座る男子のノートも見えた。ほんの少し、色がついていた。2人共私にとってはすごい人に思えた。隣のYくんはお金持ちのお坊ちゃま。斜め前のOくんは鉄道に詳しそうな頭のいい生徒だった。ちゃんと理解して正直に先生の指示に従っていた気がした。
こういうことって男子の方が何でもよく知っているイメージがあった。めちゃくちゃに色付けした自分が情けなかったけど、赤い色は消しゴムで消すこともできず、私はそのままノートを提出した。行ったこともないのに、銀座までも行ったことのある10歳の女子になってたかも。
さて、先日夫の誕生日にと、長男家族が食事に連れて行ってくれた。焼き肉屋ってとこは自分たちの希望でしょうが。久しぶりに会う孫Aくん、中学で野球部に入り頑張っているようだ。身体は大きくないが、日焼けした顔に成長を感じた。
「練習試合あって、ヒット打ったよ」
「すごいね。良かったね」
「どこでやったの?」
私は彼が通う中学校で試合があったのだったら、見に行きたかったなあ、とそんな気分で聞いてみた。すると彼は首を傾げた。夫がすかさず言う。
「なんだよ、どこが試合相手かもわからないのか」
「相手の中学は分かるけど、どこに行ったかわからない」
ってAくん。
最寄り駅に集合し、先生や先輩の後についていけば目的地に着いちゃう。私の時代ならば、駅にある大きな路線図を見ながら、どこまでいくらかかるのか、どこで乗り換えるのか、なんて見て、お金を投入して切符を買った。それが今じゃあ交通系ICカードでピッだけなんだもの。
あんなおバカな小学4年生だった私でさえ、中学時代には自分のよく利用する線の駅の名前をスラスラ言うことができた。大した努力もせずに、生活の中で覚えることができた。今後はもう、ヒトが覚えること、なくなるね。すべて機械がやってくれるね。1人1台の便利グッズがあるからね。
将来、ヒトの脳は何を覚え、何を考えるのだろう。記憶だけでなく、AIさんがいろいろ担ってくれるとなったら、好き、嫌い、嬉しい、悲しい、そんな感情だけが沸く場所なのかな、頭って。
せめてイグノーベル賞を目指すテーマはAIさんに頼らず、ヒトに考えていただきたいわ。日本人、20年続けて受賞ですって。おめでとうございます。