定期的に通っている整骨院がある。
「調子はどうですか?」
先生に聞かれる。
「良いんですが、今朝から膝のあたりに違和感があって‥‥‥」
「どれどれ、何か特別なことあった?」
と先生が親指で膝の周りをあちこち押す。
「昨日、パンプス履いて動き回ったんです」
すると先生のひと言。
「心配なし!筋肉痛」
「えっ?筋肉痛?」
恥ずかしかった。
前日、ある方の葬儀に参列した。私は最後のお見送りには特別な思いがある。その方が何らかの使命があって生を受け、長いか短いかの違いはあったとしても最期まで生き抜いた。私がその方の人生の全てを知っているわけではないが、その方と直接、もしくは家族や友人を介して知り合い、大切な人となった。その人が人生の終わりを迎えた。年下であろうがなかろうがその方に対して、「敬う」という気持ちがある。丁寧な別れ方をしたい。
亡くなられた後も、私の心の中で、時に励まし、優しい笑顔で応援してほしい。一緒に過ごしたほんの少しの時間でも私にとっては大切な想い出としてふとよみがえることもあるだろう。
私は最期のお別れはとても大事なものと思っている。心がこもっていれば問題はないし、他人がどのような姿で参列していようがそれは構わない。ただただ、私の中では「整った姿」がある。それは、おめでたい席よりも厳格だ。大体のことは、ズボラで面倒くさがりなこの私が、そこだけはこだわるのだ。黒のスーツではなくて、喪服、礼服だ。宗派?教徒に違いはあるが、お数珠は忘れてはならない。ハンカチも黒、雨の日には黒い傘を持つ。夏には黒い扇子をしのばせ、冬には黒いコート、手袋とマフラーを纏う。
パールのネックレスは若い時につけていた少しピンクがかった白いものが年齢と共に、葬儀で違和感を持つようになった。ちょうど結婚30周年のパール婚の年にグリーンのような輝きものを購入した。とても気に入っている。
袱紗も大事。そうそう、必ず替えのストッキングを持参する。どこかで伝線させたらとても恥ずかしいし、見苦しい。そして、黒のパンプス。背筋がシャキッと伸びて遺影の前でしっかりと手を合わせることができる。
最近はほとんどウォーキングシューズの毎日で、おでかけであってもよほどのことでない限り、高さのないローファーなどしか履かなくなってしまった。さて、大事な人とのお別れの席、いつまで黒いパンプスを履けるかなあ。翌日に筋肉痛を起こすようでは、だめだなあ。鍛えないとだめだなあ。
たとえオールインワンのファンデーションになろうともお別れの席での黒いパンプスは死守したい。
