私がブログを始めて良かったと思うことは、他のみなさんがブログの中で役に立つ情報や気になる場所、商品、映画、ドラマ、書籍などを紹介なさっていることだ。それらを私はメモしている。

 

 本日は書籍について。ある方がこちらを載せていらした。

 

 

 この度この2冊を読んだ。『海と毒薬』は、高校の倫理社会で課題図書だったので、2度目となる。試験では論文を書かされた。私は何を書いていいのかわからず、規定字数の3割も埋まらずに提出してしまった。もともと作文は苦手というより、好きな方だ。その私が書けなかったというのが、色々な考えが浮かびすぎて、まとまらなかったから、である。 感想ならあるけど、17歳の私はそれを論文にすることができなかった。思ったことを箇条書きにしてはお粗末だ。当たり前に

「人の命を奪うことはいけないこと」

に絞った。そこに枝葉を加えた程度で、A4用紙のほとんどが白紙だった。当時は白紙というより、わら半紙色ね。

 

 その結果、私の倫理社会の成績は5段階評価の2だった。そもそも『倫理社会』って何?未だに私は分からない。AIさんに聞く。「人が社会の中で他者と共に生きる際に、何が善いか・正しいかを判断し行動するための規範や考え方の総称」を指すんだそう。で、学校科目として倫理観や社会の仕組みを体系的に学ぶことだと。あぁ、やっぱりわからない。それって文章にしなければならないことなの?高校生が科目の1つとして学ぶ必要があるの?

 

 小中学校でやった、道徳みたいなもの?それだったら、私の中にあるのは「法を犯すことが悪」でそれ以外は「人に迷惑をかけちゃいけない」とか「約束や時間を守る」とか日常生活の中で親や先生、周りの大人に教えられてきたこと、友だち関係の中で学んだこと、それがすべてでいいのではないかと思う。体系的に学ぶ、なんて言葉が付いてくるからややこしい。論文は書けなくても、私は、道徳だったら3くらいの評価は付くと思っている。

 

 今回も結局、『海と毒薬』については

「どこかに哲学は落ちてねえがぁ」

なんて思いながら読んでしまった。読後感はやっぱり「人を殺めた行為は許されるものではない」というもので何ら変わっていなかった。それが戦争という非常事態の中にあっても確固たる成文をもつキリスト教、その教徒でない日本人であっても。

 

 私はいっつもかっこつけ屋なのだとあらためて思う。思いの丈を素直に表現すれば良かったのかもしれないが、論文というものにこだわり、きれいにまとめようとした。それが半世紀経っても変わらないなんて、どれだけ私はあの高校時代の定期テストにとらわれているのか?私、成長してない……。

 

 ただ、続編である『悲しみの歌』は、課題も何もなく、好きなように読むことができた。様々な思いがよぎった。勝呂医師が刑を終えて、医者として生きるも常に重りを抱えていたことや、生体解剖実験に関わった理由を「疲れていたから」と言ったこと、お人好しともとれる不思議なフランス人のガストンの真っ直ぐなところ、正義をかざす新聞記者の折戸、 その他登場人物すべてに私の自由な思いがあった。身体全体に染みこむように全員が入ってきた。すべての人間の信条や行為に頷けるものがあった。好意的な人と嫌悪感を抱く人がいたけれど、どの人にも同意できる何かがあった。

 

 『悲しみの歌』に出会えたことは長年モヤモヤしていたことを払拭してくれた。どんどんと引き込まれるように読み進めることができた。スッキリした。

 
 1つ、「どんな正しい考えも、限界を超えると悪になる」という一文が出てくるが、私は、限度を超すと悪になるものはもともと正しい考えとは言えないと思う。そこは少し引っかかるところだった。正しいことこそが、どこまで行っても正しいのだと思う。
 
 いつだったか、高校を卒業してしばらくしたころ、クラスメートが言った。
「倫社なんてちょろいモノよ。あの先生ね、私が暑中見舞いを出したのよ。そしたら、2学期の成績は5が付いた。年賀状を出したら3学期も5だったのよ」
私は、その先生にどちらも出してない。
 
 何年も経って、わざわざそんな話を持ち出した彼女を受け入れるのは難しかった。
「彼女はどんな意図があって今さらこんな発言をしたのか」
 
 それでも私は彼女がA4版のわら半紙に目いっぱい細かい文字で、「これぞ立派な構成と表現だ」って文章を並べたと思いたい。たった2 通のハガキで成績がついたなんて考えたくもない。
 
 ま、今となっては成績なんてどうでもいいし、あの時だってどうってことなかった。そもそも「倫理社会」ってモノがわからないんだから、最高の評価なんて私にはつくはずもない。2が妥当です。なんなら1です。