妹が映画『マイケル』を観てきたと言う。私は妹に対抗心や競争心があるわけでもないが、ここは観に行かなければ、と思った。

「おとうちゃん、好きだったよね」

妹のこの言葉で心が決まった。

 

 彼女はもう、40年近くも前、マイケルの姿をあのドームでのコンサートで見たそうだ。私にとっては、子育てに1番忙しかった頃のことで、見に行こう、どころか来日情報さえも少しも頭になかった。

 

 そうそう、あの『バブル期』だって、私は何の恩恵も受けずにいつの間にかはじけてしまった。その間、流行ったものや歌、最近のテレビで放送されるけれど、5年ほど、ぽっかり穴が空いているような感じだ。別世界で生活していたかのように、知らないことばかり。

 

「本物のマイケル、見たかったなあ」

 

 父が生きていた頃、よくダンスや歌の話をした。だからといって、会話が深まるわけでもない。いつも同じ話の繰り返しなんだから。80代の父と50代の娘の会話なんてそんなもの。

 

「マイケルジャクソンのダンスはすごいなあ。普通の人にはあんな踊りはできないな。見とれちゃうよ」

 

「おとうちゃん、マイケルジャクソンなんて知ってるんだ。歌と踊りが好きだもんね。岡村とEXILEのコラボ、アレもいいよね」

 

「あぁ、『オカザイル』もいいなあ」

父から『オカザイル』なんて単語が出てきたことにも驚いた。

 

「おふくろが好きだったからね。って言ったって、今どきのあんな洒落たダンスじゃないよ。着物着てチントンシャンってやるあれだけどね」

 

「おとうちゃんもちょっと前まで社交ダンスなんて公民館みたいなところでやってたよね?カラオケ大会なんかにも出ちゃったりして、結構上手だもんね」

 

「おふくろに似たかな?男にしては高い声だしね」

 

「私たち子ども3人は誰もおとうちゃんに似なかったってわけね。みんな下手だもんね」

と、最後は笑う。

 

 そして父が言うには、本家の兄さんが(私にとっての伯父)マイケルのDVDを持っていたから、羨ましかったと。私の記憶では全巻持っていたと言っていたような気がする。

 

 ところが、父の葬儀の席での従兄弟との話には驚いた。私が切り出す。

「伯父さん、マイケルが好きだったそうですね。なんだか、父が『本家のアニキがDVDを何本も持っていてすごいな』って言ってました」

「えっ?そんな話は聞いたことがないよ。父(私にとっての伯父)の後に母(伯母)が亡くなり、いろいろなものを処分したけど、そんなものは一切出てこなかったなぁ」

「えっ?そうなんですか?私の記憶がとんでもないことになってるとか?」

 

 そして、先日観た映画、良かったです。マイケルのダンスと歌には私も魅了されていたけれど、奇行や繰り返す整形には、あまり良い思いは持っていなかった。でもどうやらそれは偏見だったようだ。傲慢で金や名誉のために子どもに暴力までふるう父に育てられた結果、彼は何かを振り払うように動物に愛を注いだ、病を抱えた子どもたちを見舞った、そんな風に私は理解した。 普段の優しい声と純粋な心とは裏腹な迫力があるパフォーマンスがさらに心にしみた。

 

 映画で、晩年の彼の姿を描いていない所に不満の声も出ているようだが、私はこの映画で十分だ。そもそも映画には製作者の意図がある。何を伝えたいのか、何を伝えたくないのか。フィクションでない限り、ありもしないことをでっちあげてはいけないが、強調はあるはずだ。

 

 マイケルがその世界に没頭し、多くの人を虜にし、キングと呼ばれる頂点にのぼりつめた姿までが見られれば、あとはそれぞれがそれぞれの解釈で晩年の彼を頭に描けばいい。だって、真実なんて本当のところは本人にしかわからないのだから。

 

 肌の色での差別に抗ってきたマイケルが白斑という病に侵されてしまったことが、何の因果か、切ない。