実家の片付けをしていて、貴重なものを見つけて、もらってきちゃった。初めて家族で夏休みに大阪の万博EXPO70に行ったときのもの。商売を営んでいたので、家族そろって旅行に出かけることはあまりなかった。せいぜい車で日帰りするか、父か母のどちらかと出かけるか。だから、とっても嬉しかったのを覚えている。
その時初めて新幹線に乗った。小学5年生だった。あの冷水器や、トイレの存在に興奮し、何度も往復した。それほど喉が渇いているわけでもないのに。マチのない四角いしっかりした紙のコップは、片方が緩いカーブを描いてくりぬかれていた。たくさん使ってごめんなさい。
そうして新幹線と言えば、中学の修学旅行。その時だったと思うのだけれど、車内に時速が表示される仕組みになっていた。それがあっという間に100を超え、グングンと数字が上がる。みんながそれを見つめている。200を超えた、その時には車内に拍手と歓声が上がった。今は、そんな表示はない。ニュースが流されたり、次の駅が表示されたり。なんだか、昭和って勢いがあったなあなんて思う。
それ以降は、友人との旅行で、出張で、何度も利用した。
1番恥ずかしく記憶に残っているのはおばさん時代のこと。
長男の高校野球で、おかあさん同士4人で、関西遠征に応援に行ったときのこと。平日朝6時東京発のひかりに乗り込む。そこから、ずっとしゃべる。おそらく乗客はほとんどが会社員だったのではないか?ゆっくり眠って移動したかっただろうに、おばさん連中のうるさいことと言ったらありゃしない。
誰かが、あいざき進也のファンだったから息子に進也と名付けただの、自分は父親が若尾文子が好きだったから、文子になっただの、どーでもいい話を延々3時間。今思い出すと、恥ずかしい。そしてごめんなさい。
奈良に1泊、大阪に1泊した後の帰りの新幹線。往きは東京発だから問題なかったけれど、帰り、指定をとっていなかった私たちは、1人、中村さんが離れた席になってしまった。が、運の良いことに途中で、私たち3人の席の近くの方が下車なさった。
はい、ここでおばさん力が発揮される。離れた席の中村さんを呼ぶというこれまた図々しい私たち。全く迷惑な話だよね~。手招きするも気付いてはもらえず。小さめの声で何度も呼んでみる。私たちにも少しだけ、羞恥心というものがあったらしい。が、中村さんは全く気付かない。
すると、私たちと中村さんの間に座っていた会社員風の40代くらいの男性が大きな声で、
「中村さーーーん!」
と呼んでくださったのだ。車内に拍手と苦笑。でも1番恥ずかしかったのは中村さんよね。名前、知られちゃった。その男性には感謝しております。
「ありがとうございました」
もっと大きな声でお礼を言う。
そんな光景……。今だったら、中村さんを呼ぶこともしないだろうし、呼んでくれる見ず知らずの人もいないと思う。そんなことをしちゃったり、できちゃったり、の時代だった。何より私たち4人が図太いおばさんだった。
「夢の超特急」、その言葉が高揚感を生むのか。それは高級感の漂う飛行機とは少し違う。飛行機には搭乗名簿が存在する。機内は子どもでもいない限り、人の話し声は聞こえてこない。CAさんが恭しくドリンクを配る。1人1台のモニター?高所恐怖症ではないけれど、緊張する。
私は新幹線に乗り込むとテンションが上がる。高度成長期と呼ばれたあの時代に開通したという歴史がそう感じさせるのか?通勤通学に利用するのが当たり前の時代になったが、それでもどこか特権層の乗り物のようで、それらが混在しているようで、私は好きだ。


