友人に、ある画廊を勧められ、妹と行ってきた。そこは、とある男性が夢であった「絵画を自分自身で収集し、皆さんに楽しんでもらいたい」と始めた画廊ということで、ご商売でもないし、鑑賞もフリーだそう。その方は余裕のある暮らしをなさっていて、言ってみれば趣味で始められたということらしい。
私はそれほど絵に興味があるわけでもないが、還暦もとっくに過ぎ、先が見えてきた者の1人として、こういった芸術に触れる機会が必要ではないかと思っていたところ。先入観ですべて切り捨てるのではなく、せっかく命をもらった1人の人間として、なるべく多くのジャンルの物事、経験を積んでおかなければ、体験してみなければ、という域に入っていると思っている。だからって、もう、バンジージャンプなんて無茶なことはしませんよ。
私は、もともと絵が上手なタイプでもなく、はっきり言って下手くそ。小学校に入ったあたりから、コンプレックスの塊だった。画用紙いっぱいに表現することもなく、先生からは
「絵に子どもらしさがない」
と評価されていたらしい。あとから父に聞いた。
そこから早くも私は絵というものに近づかなくなった。
最近では、芸能人(というか、お笑い芸人さんが多いかな?)の下手な絵を公開して、笑いをとる。「画伯」なんて呼ばれて。なんだか親近感が増す。そして、
「これも味があるじゃないの」
と自分に向かって言うようにつぶやく。
そんな私が美術館好きな妹を誘って絵を鑑賞してきたというわけだ。ご主人?オーナーさん?あ、経営ではないからオーナーは違うか。何とお呼びすればいいのかもわからないが、その方は上品な笑顔で迎えてくださった。友人から聞いてはいたが、1時間たっぷり、プライベートで対応してくださる。こんな、ど素人の私たち相手に。
そこには、立派なソファーとテーブルが置かれていた。真っ白い壁に掛けられた20点ほどの作品。海外の風景画や、静物画の油絵であった。
なんと言っても
「お気に召された物はございますか?」
なんて 営業が入らないのが良い。そして、アレコレ語らなくても
「なんとなくこの絵が好きだな」
で良いのだ。1点ずつ解説してくださる。
その方は小学生の頃、絵画教室に通っていたそうだ。お年は私たち姉妹と同じくらいだ。そこで『絵画教室』って単語が出てきて私たちは顔を見合わせる。
「あの頃、私たちの周りにそんなおけいこ、あった?」
「せいぜい、習字かピアノかそろばんだよね」
さすが姉妹となるとお互いに顔で会話ができる。
その絵画教室、小学生の頃はデッサンと水彩、中学生になると油絵に進んだそうだ。そして、先生がとにかく穏やかで、その方は先生のお人柄にも惹かれていったようだった。その先生が、始めるに当たってこう言われた。
「油絵には失敗はないし、終わりもない」
失敗したと思ったら、塗り重ねることができる。
「終わりもない」については、
「どこかで筆をおくことは必要だが、それで満足してはいけない」
そんな風に私は理解した。
そこに展示された絵をあらためて横から見ると確かに1センチにもなろう程の塗り重ねられた箇所がいくつもあった。すごく興味深かった。この下にはどんな色のどんな物があったのだろうか?画家はその部分のどこが気に入らなかったのだろうか?こんな私がロマンを感じた。
そんな深い言葉に早くも10歳を過ぎた頃に出会っていたその方と、そこから半世紀も経って出会った私たち姉妹。
「失敗がなくて終わりもないもの、他にあるのだろうか?」
私は目下、思案中だ。
ほらね、こういう発見があるから、どんなことでも飛び込んでみる勇気ある1歩が大事なのだ。そして、1度でいいから筆を持ってみたくなった。油絵の具をあのザラついたキャンバスに塗るときの感触ってどんなだろう?
その日、画廊からの帰り道に咲いていた紫陽花は、より一層鮮やかに見えた。満足な1日だった。

