数ヶ月先までカレンダーにはゴルフの予定が組まれていた。退職後はすっかりゴルフにハマり、ジムに通って筋トレまでし、スクールにも通い、もちろんコースに出て友人と楽しんでおられた。

 

 地域にあっては様々なお役を引き受け、貢献していた。


 孫も多く、女の子たちとはミュージカルを観たり、男の子とは甲子園観戦したりしていた。孫のスポーツの試合、発表会、運動会があれば、3時間以上も運転して駆け付ける。時には新幹線でも。それが、例えば県の決勝とか、賞のかかった大事な大会とかなら、ありかもしれない。が、ただの地域の発表会だったり、小学生の練習試合だったりと、そんなレベルにも関わらず応援に行く。その後、焼き肉やら回転寿司で一緒に 食事する。

 

 仕事で国内だけでなく、海外も訪れ、旅行が好きだった。孫たちとはこれから日本全国各地を訪れようとしていたようだ。今までに一緒に行ったところはほんの数えられるほどだが、孫から

「おじいちゃん、行ってみたいところがあるんだ……」と言われれば、すべて希望を叶えてきた。


 これからいくらでも時間はとれる予定だった。

 

 夢は、孫たちの結婚式に出て、思う存分お酒を飲むこと。そう、それほどお酒が大好きだったのだ。

 

 都会から離れた場所で、自然に囲まれ、生まれ育った。だから、お米をはじめとして、いろいろな野菜を育てていた。孫とタケノコを掘り、苺を育て、栗を拾う。そしてそれらを料理していた。糠漬けはもちろんのこと、ジャム、バジルソースや甘露煮などなど。

 

 ほんのひと月前、腰や下腹部が痛いと、救急で入院した。そこで知らされたのが、すい臓がんだった。既に転移も見られた。すい臓がんは大変に見つかりにくいと聞いたことはある。その方は年に2回も人間ドックを受けていらした。ご両親はお二人共95歳まで生き、老衰でご自宅で亡くなられたと聞いている。お酒も大好き。そんな両親と同居していたら、自分も間違いなく90歳までは元気に過ごせると思ったのではないか?

 

 「治療を受けたい」

というその方の希望はかなえられず、緩和ケアーに移られた。そして、がんがわかってから、たったのひと月で命が奪われてしまった。

 

 生への意欲満々で、非常に活動的に生活されていた。これからだってやりたいことは山ほどあっただろうし、できると信じて疑わなかったろう。70歳半ばが若すぎるとは言えないが、若い。私はどんなにか無念だったろうかと涙が止まらない。その1ヶ月、どんな思いでベッドの上で横になっていたのかと思うと、胸が苦しい。自身の父が亡くなっても1滴の涙もこぼしていないそんな私が泣けて泣けてしょうがない。

 

 お聞きしたところによると、地域で会長などを引き受けていたので、翌月の定例会に流してほしいと、病室で20分にも及ぶ自分の思いとこれからの会の発展のために伝えたいことの動画を撮影していたそうだ。ゴルフのキャンセルもすべてご自分で連絡をしていたそうだ。最後は声もかすれていたと。

 

 自分があとどれだけの命か、短いと分かった時、私だったらどうするだろう?何もやる気もなく、身体も不自由となったら、無駄に時を過ごすか?それだって、仕方ないことと思う。だから、その方が悔やんで悲しんで、ただただ時が経つだけの生活ではなかったこと、やるべきことに黙々と取り組んでいらしたこと、私にとっては尊敬の念しかない。一方、体調の優れない中、痩せ細っていく身体に抗うように何か行動する……そうすることで様々な思いを払拭していたのかも知れない。

 

 人の命がこんなにもあっけないなんて。それまで元気に生きていたのに、たったひと月であれよあれよという間に命の灯が消えてしまうなんて。

 

 お別れをした後、私は今、普通の生活をしながらも時にその方や遺された方々のことを思うと震える。


 長女に話をした。

「おじいちゃんもおばあちゃんも(私にとっての義父と実母)90歳を過ぎても頑張って生きているけど、おじいちゃんは毎日テレビを見て、家の周りをほうきで掃くだけ。おばあちゃんの楽しみはお花を愛でることだけ。2人共どこへ出かけるでもなく、特にやりたいこともなく、ヘルパーさんの手を借り、家族に助けてもらい、何とか自宅で生活している。かたや、やるべきことをたくさん抱え、やりたいことをたくさん描き、エネルギッシュに前を向いていた人もいた。命は運なのかねぇ」

 

 すると彼女が言った。

「おじいちゃんとおばあちゃん、完全なる消化試合だもんね」

自分の身内だから言える一言。娘は言葉のチョイスが面白い。私は泣きながら大笑いした。消化試合であっても義父と実母は力を振り絞って戦っている。

 

 人の命はめちゃくちゃで、不条理極まりない。