今の家に住み始めて35年以上が経つが、つい3年前に気づいたことがある。2階のベランダに出るところに『またぎ段差』がある。10~20センチぐらいの段差があって、外に出るときにはそこをまたがなくてはならない。毎朝、雨が降っていなければ洗濯物を干しにベランダに出ていたので、そこをまたいでいた。脱水したとは言え、水を含んだ大量の洗濯物が入ったかごを持ち

「よっこらしょ」

なんて声も出しながら‥‥‥。

 

 そして、3年前のある冬の日に、またがずにその高くなっているところに立ってみた。何気なく背伸びをした。すると西の方向に富士山が見えたのだ。よそのお宅の屋根の上に、富士山の雪を被った頭がくっきりと見えた。感激した。そして何年ももったいないことをしたと思った。


アンテナと電線が邪魔笑い泣き
冬の空から春に向かい、そろそろ見納めかな?

 

 静岡、山梨を訪れれば富士山のその雄大さに感動していた。裾広がりの対照的な美しさ、誰もが好きな富士山だ。

「これを小さい頃から毎日見ながら育つ子と、都会で育つ子は違うんじゃないか?」

なんて思ったこともあった。

 

 ベランダからは私の背の高さでは見られない。そして夏は見られない。冬の澄み切った空気の中でのみ、それは姿を現す。いいことに気づき、それからほぼ毎日、冬の時期には段差に乗って見ている。

 

 気づいた日には夫に教えた。次の日の朝、夫はベランダに立った。

「おーーー、見える。富士山見えた~」

と感動したようだった。私より10数センチ大きい夫はその『またぎ段差』に乗らなくても、ベランダから見ることができた。私は

「毎日洗濯物を干してごらんよ、そしたらとっくの昔にわかってたかもよ。30年以上も気づかないなんて」

と心で毒づき、笑顔で

「ね?見えたでしょ?」

と言った。

 

 先日、いつも通りに朝の背伸びをし、急に記憶の奥底からそれはやってきた。

「小さい頃、もっともっと背伸びしていた気がするけれど、何を見ていたのだろう?」

夜、夫にも尋ねてみた。

「ねえ、小さい頃、背伸びしたよね?何見てたと思う?」

「あぁ、やってた、やってた。すごくやってた。でも覚えていないや」

 

 「背伸び」って、自分を大きく見せる意味もある。昭和の子どもって早く大きくなりたかったのかな?大人になりたかったのかな?私は何も覚えていない。どこでどんなモノを見ようとしていたのか、なんにも浮かばない。板塀の隙間から、上から、よそのお宅を覗いた?わからない。でも背伸びしていたことは確かだ。たくさんたくさん伸び上がったことは確かだ。

 

 今じゃあ、これ以上の成長もなさそうだし、背のびなんてすることはない。あ、思い出したときにつま先立ちってのをやるかしら?「ふくらはぎは第2の心臓」と言われて推奨される高齢者のための体操だ。そう、背伸びってつま先立ちなんだ……。

 

 同じ動作でも子どもは背伸び、大人になったらつま先立ち?背伸びって懐かしくて趣のある言葉だ。日本語にはそんな言葉がたくさんある。