母は60を過ぎた頃、くも膜下出血を患ったが、幸いにも2回の手術で見事復活した。後遺症もない。それまでは、3カ月に1度はひどい頭痛と吐き気で、眉間にしわを寄せて半日ほど横になっていた。

 

 私は小さい頃からそれほど怒られるようなことはなかったが、厳しい母は毎週日曜日の朝、私に玄関の掃除を強いた。それ以外にも普段からお手伝いはたくさんやった。小学生になってからの夏休み、毎日、朝食後の洗い物と片付けは私の仕事だった。取り掛かりが遅くなると

「やったの?!」

と厳しい声が飛んだ。母の目は吊り上がっていた。

 

 今年の始め、救急車騒ぎがあり、母は2カ月ほど入院した。介護認定は「要介護3」となり、週に2回のお風呂介助と1回のおつかいをヘルパーさんにお願いしている。私は土日しか実家に行かれないので、安否確認という意味でも、大変助かっている。

 

 日曜日、いつものように実家に行き、トランプを始めた。何となく母の1日の生活ぶりを聞いてみた。今までもそんなこともあったが、今回は細かく尋ねた。

 

 この時期、朝は5時に起き出して、先ず夜中に使用したポータブルトイレの始末をする。

 

 仏壇の父にたっぷりのお茶を用意し、短いお線香に火を付け、手を合わせる。火事を心配する母は、お線香を折って使う。

 

 5時半、パンを焼き、ヨーグルト、飲み物の朝食。

 

 6時から30分ほどかけて、お散歩。と言ってもひと区画歩く程度。私なら、5分もかからない距離。でもシルバーカーを玄関から持ち出し、最後にしまう、そこにも時間がかかる。腰が直角ほどに曲がった母の懸命な姿が見えてくる。

 

 7時前後には、洗濯を始め、干す。

 

 その間、体操をする。椅子に座ったまま、手を伸ばし、顔の周りで円を描くように動かす。実際にやってみてもらうも理想形には程遠い。足を左右交互に上げ下げ20回。首を回す。

「こんな風にね」

と言われたけど、とても回っているとは思えない。これだけで20分かかるらしい。


 血圧や体温を測る。

 

 昼食の準備。同時におやつ用にジャガイモやサツマイモを蒸かしたりする。蒸しパンを作ったりもする。

「食べることと寝ることは一番大事」

がモットーの母は、しっかりした料理を作る。ガスコンロは終わったあとに毎回元栓まで閉める。

 

 10時半から11時、昼食。

「えっ?そんなに早いの?このままいったら、いつか1日ズレそうだよね?」

私のいつもの言葉。

 

 ちょっとお昼寝。

 

 1時半におやつ。「カルシウムせんべい」というのが母のお気に入りだ。ほのかに甘い。

 

 テレビを観たり、片付けをしたり、昔の写真を見たり、のんびりした時間を過ごし、3時半には夕食の支度にとりかかり、4時半には食べ終わる。

 

 食器洗いも洗濯物をたたむのも時間がかかる。

 

 もう1度テレビを付ける。気になるニュースがあれば翌日には近くのコンビニで新聞を買う予定。卓上日めくりカレンダーを見て、翌日の予定を確認する。

 

 手足に血行を良くするクリームを塗り、寝る準備。6時半には床に就く。

 

 ヘルパーさんが来たり、近くに住む妹(私にとっての叔母)や親せきが来たり、春から秋には庭の草花の手入れもする。クリニックや美容院に行く日はうっすら化粧をしている。それこそ、特別なお出かけだ。が、母の毎日は、時間割が存在するほど、一定だ。

 

 好きな番組は高田純次さんの『じゅん散歩』と松重豊さんの『孤独のグルメ』だ。母は、10年以上、いや、もっとかな?公共の乗り物で外出していない。観光地など無縁。


 免許のない私に代わって

「おふくろさんと食事に行こう」

と夫が車を出してくれるが、10分もかからない場所にあるファミレスを希望する。

「私は見栄えも悪いし、みすぼらしいし、みんなに迷惑をかけるから、どこも行かない」

と母はいつも言う 。この言葉に、私は悲しくなるけれど、もう慣れてしまった。


 「お母ちゃんは、若い頃美人さんだったけどなあ」

「どんな人だって、お金を払ってくれるならお客さんだもの、おしゃれしてなくても大丈夫!」

父は生前言ってたなあ。

 

 グルメ番組や町のお出かけ番組を行く当てもないのに、観る。井之頭五郎さんが

「いただきます」

とか

「うん、うまい!」

って言うのが面白いんだって。

 

 顔をくしゃくしゃにして笑う。私が小さかった頃に見た母の顔はそこにはない。

「生まれ変わっても絶対おとうちゃん(父のこと)と結婚する」

と言ってまた笑う91歳。父は空からそれをどんな思いで聞いているやら‥‥‥。

 

 このまま穏やかな暮らしが続きますように。