小学生の野球について前回書かせてもらった。


 ここでいきなり佐々木朗希選手の登場となります。野球を知っている方ならば、どなたもご存知の現在ドジャースで活躍するピッチャーだ。日本にいた頃、速球が注目され、奪三振はまるでショーを見ているよう。「令和の怪物」と言われた選手だ。

 

 彼は高校3年生の夏、「故障予防のため」という理由から、甲子園の地方予選である県大会決勝戦での登板はなかった。監督の指示だった。私はそのニュースに大変驚いた。結果はおのずと知れた通りで、その高校は甲子園を逃した。彼はそれだけ優れた投手であり、大切にされた。そこで思ったこと。

「他の選手はどう感じたのだろうか?」

 

 もちろん、これについては大きな社会問題としてしばらく物議をかもした。

 

 小さい頃から、ひたすら「甲子園」を目指して練習してきた選手たちはがっかりしたと思う。高校に入学し、

「俺らのチームには朗希がいる。自分たちも必死に練習すれば夢の甲子園が手の届くところにある」

そう思ったに違いない。それが、怪我をしたわけでもない(このまま投げれば怪我に繋がるのは明確だったのかもしれないが)、予防のために、1人の選手の未来のために、監督がそう決断したということだ。中には

「僕は高校野球を最後に、その後はやめる。ここで悔いの残らないプレーをしたい」

と思っていた選手がいるはず。彼らの気持ちはどうなるの?

 

 私は佐々木選手はもちろんのこと、そう判断した監督を批難しているわけではない。野球という特殊なスポーツがこうした問題を抱えているのだ。今後、こうしたことは増えていくのではないか?

 

 諦めたら終わり、負けたらあとはない、そういう根性で臨む夏の甲子園と、そこに続く地方大会は高校球児の集大成だ。そのがむしゃらさが観る者の心をつかむ。だからこそ、私は小学生の頃からそれを観て感動し、心躍らせ、時には涙も流してきた。それがこれからは

「故障しては選手の将来が絶たれてしまうので、ここでは全力で戦えません」

になるのか?

 

 ワールドシリーズの第3戦は、延長18回という死闘となった。両チームともピッチャーは出尽くしてしまった。そこで前日に先発し、100球近くを投げた山本選手がブルペンに向かうことになった。

「えっ?まさかの連投?」

 

 そのシーンが画面に映し出された。普通、ピッチャーは試合で投げたら、数日間は休養を取る。それだけ、肉体に負荷をかけて、戦っているということだ。はい、偉そうに書くけれど、私はそれがどれほど酷なことか、体験したことはありません。

 

 山本選手は、ブルペンに向かう途中、佐々木選手のすぐ目の前を通った。私は佐々木選手が何か言ったのを見た。明らかにその口が

「まじ?」

と動いていたのを見た。

 

 高校3年生の夏、故障を恐れて、将来のために、その役を降りた佐々木選手は、メジャーでの最高峰の闘いに挑む山本選手の姿をどう見たか。日本のアマチュア高校野球(甲子園)とプロ大リーグを比較すること自体がおかしいかもしれない。けれど、なかなかあることではない高校時代の体験を持った佐々木選手の「マジ」という2文字と山本選手の覚悟の横顔がリンクし、重い。

 

 まだ続くよ。おつきあいくださいませ。