翼が生まれ、小学校高学年になった頃

「この子は違う」

とはっきり思った。何が違うと問われても答えられないが、大輔や純子の小さい時とは違った。純子が様々な専門家を訪れたが、当時は「注意や運動や認知の複合的な障害」とされ、はっきりとした答えは出なかった。そして、育て方が悪いとか、遺伝ではないか、といった風潮があった。

 

 今では、ADHD、ASD、HSCあるいはHSP、など、なんらかの診断をつけるようだ。そうすることで、父母が安心するのか?そうすることで、何か変わるのか?それだってあと数十年したらわからない。それだけ不確かなことだと大輔は思っている。その診断はいくつかの項目が当てはまるか否か、その個数で決まる。

 

 インフルエンザやコロナのように、陽性、陰性と、はっきり線引きがあるものではない。すべての人がそれにちょっと当てはまるとか大いに当てはまるとか、そんなものだと思っている。

 

 よく例に出されるのが、「身長が高い低い」だが、そこに境界線はない。つまりは、大輔だって純子だって、たまたま当てはまる数が少な目だったからそのように診断されないのであって、グレーと言われたら、そうかもしれない。それほど曖昧なものだ。今の時代に翼が小学生だったら、即座に診断がついて、さまざまな支援が受けられたか?気持ちが楽になったのか?翼は既に35歳を超えた。

 

 翼を外に連れ出すことはできなかった。20歳を過ぎても働くこともせず、親のお金で生活している翼を

「甘やかしている。まずは自立を」

と非難する専門家もいた。当然のことながら、近所に住む人たちには噂されているだろう。大輔と純子だってそれは分かる。でもどうにもできなかったのだ。ただただ、孤立させてはならないとなんとかアプローチを続けてあっという間に20年が経ってしまったのだ。

 

 失敗がつき物の研究、物づくりとは違う。失敗を繰り返しながらもなんとかあきらめずに挑戦すれば、いつか成功にたどり着けるかもしれない。たとえ成功しなくてもそれらの失敗は無駄にはならない。

 

 子育ては時間が限られている。何が良くて何が悪いのかもわからない。ただ、概ね笑顔で取り組めた親の一方で悩み続けてきた大輔や純子のような親もいる。子育てって何だろう?

 

 人として生まれ、この世で一番難しくて尊いものが子育てではないかと、大輔は思い始めた。満員電車に揺られて職場に向かい、最初の頃には上司から細かい注意も受け、営業成績を競わされ、プロジェクトの成功には喜び、いつしか部下をまとめる立場にもなった。そうして仕事をしてきた。一つの誇りであるのは確かだ。

 

 学生時代の友人、職場で知り合った人たち、皆が皆、普通に子を持ち、普通に生活し、その子らももう結婚だと聞く。少々困難な壁もクリアーしている。

 

 その昔誰かが言ってたっけ。

「超えられないハードルがあったら、くぐればいい」

って。大輔と純子と翼はくぐることもできなかったということか。

 

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