小学校の低学年で、「聞くテスト」というものがあったことを思い出した。それは私の頭の奥底に何十年もしまわれ、おそらく2度と思い出すことはなかったはずのもの。
先日、孫Aちゃん、テストで100点をとったらしい。ママがラインで送ってくれた。Aちゃんはとても恥ずかしがり屋さんで、それを自慢したり、人に見せたりしない。だから、ママがこっそり知らせて、私に喜びを与えてくれた。それこそが「聞くテスト」だった。
そのテストが私の記憶を引き出した。私はそれがすごく苦手だった。それは普通のテストの裏にあった。まず先生がお話を聞かせて、私たちはその後、テストを裏返して質問に答える。
私は小学校低学年にして、
「子どもらしさがない」
と言われていた。キャーキャーはしゃぐことはない。落ち着いていてしっかり者のお姉さんというと聞こえはいいが、子どもらしさがないというわけ。
「きっと私のこんなところがそう言われる理由だろう」
と今ならわかる。
「聞くテスト」ではメモを取ってもよいことになっていた。私はお話を聞きながら、
「こんなことは質問されることはないだろう」
と、結局メモも取らず、頭の中で勝手に話を膨らませてしまう。 聞こえてくるお話を自分の想像で拡げてしまう。妄想……。
「はい、ではテストを裏返して問題に答えて~」
の先生の言葉にハタと現実に引き戻される。私はお話をちっとも聞いていなかった。
質問は信じられないことに
「まり子さんがあそんだ人はだれですか?」
とか
「いちろうさんはいえからえきまで、あるいてなん分かかりましたか?」
とか。私としてはどうでもよくって、つまらない質問ばっかり。そう、テストを受ける人間が、その質問にケチを付ける……私って7歳なのにかわいらしさがない。
まり子さんが誰と遊んだかより、何をしてどうだったかがお話のおもしろいところでしょ?いちろうさんが駅まで何分かかろうが、彼が駅からどこへ何しに行ったかが興味深いところでしょ?
点数を取るコツを覚えればよいのに、私はそれができなかった。いつまでたっても満点は取れなかった。
そして思い出したことがある。母の弟、つまり私の叔父さんは、とっても子どもを可愛がる人で、楽しませることが好きだったようだ。母とは10歳以上年が離れていたので、私にとってはお兄さんのようだった。トランプやボードゲーム、手品、なぞなぞなど、ずいぶん遊んでもらった。弟はキャッチボールなどもしていたっけ。
ある時叔父さんが
「クイズを出すよ」
と私と弟の前で言った。私たち、小学校低学年の頃だった。
「そのバスは10人のお客さんを乗せて、出発しました。1つ目の停留所で3人乗ってきました。次のバス停で5人乗りました。その次では1人降りて2人乗ってきました。次のバス停では誰も乗らずに3人降りました。次では4人乗ってきました」
私も弟も足し算引き算に必死だ。すると叔父さん
「バス停は全部でいくつあったでしょう?」
だって。
「え~っ!なんでだよう!」
と私たち。
「最初にお客さんの数を聞くとは言っていない」
と叔父さん。そりゃあそうだ。そして、3人で大笑いしたっけ。
どんなことを聞かれるのか、先入観を持たず、素直な気持ちで人の話はよく聞きましょう。
でもそれでは叔父さんの質問には答えられなかったよね。こんなことも忘れかけていた叔父さんとの面白かった思い出の1つ。