『有棘細胞癌』

皮膚がんの一種と聞いた。義父がそう診断された。年明けからの波乱は未だ治まらず。

 

 私たち夫婦60代、両親は90前後となれば何があってもおかしくないことは理解しているものの、立て続けにこうなると

「ちょっと休ませて」

と言いたくなる。現状現実だけでない、不穏な空気が流れる。それが私は苦しいのだ。

 

 手術の日取りも決まり、担当医からは他に転移もなく、手術をすればそれほど大きな心配はないと言われた。が、当の本人(義父)はそうはいかない。今まで耳が遠いことと、年相応(と私は思っていた)の物忘れはあるものの、とっても丈夫な義父だ。歩くことは何の心配もなく、自転車もすいすいこいで出かけていく。介護認定も受けておらず、夕飯だけ私が作るが、それ以外は自分でこなす。

 

 ところがところが、そういう人に限って心が繊細だったのか‥‥‥?土日、1日に何回も

「今日何日だったっけ?」

と我が家に現れた。平日、私たちが留守の間も、もしかしたら来ていたかもしれない。夫が、手術の日取りや、その後の診察なども再度紙に書いて説明する。先日、病院から戻って、話したはずなのに。

 

 が、2~3時間たって義父はまたやってきた。そうなると、さすがに夫の口調が粗くなった。もともと耳の遠い父には大声を出すしかない。

「さっきも言っただろ!?今日は何日か!癌って聞いて動揺しているのかもしれないけど、大丈夫だって医者も言ってくれたんだから!どうしちゃったんだよ、まったく‥‥‥。それに痛くもかゆくもないんなら、手術の日を待つしかないじゃないか!」

 

 3回目に至っては義父は

「兄ちゃんごめんよ。いろいろ考えるとわかんなくなっちゃうんだよ‥‥‥今日は何日だっけ?病院の日じゃなかったっけ?」

と。あたりまえだが、夫は義父の兄でもない。

「いい加減にしてくれよ!どうしてそんなに心が弱いんだよ!友だちもみんなあの世に行っちゃって寂しいけど、自分は元気だって、言ってたじゃないか。90まで元気でいられたんだからもういいだろ!ついこの間だって『俺はもういつどうなってもいいや』って言ってたじゃないか!」

 

 夫の言葉

「もういいだろ!」

は、さすがに聞き捨てならない。私は

「そんないい方しなくても」

と言って義父に

「おとうさん、大丈夫だから落ち着いて」

と穏やかに声をかけた。何が大丈夫か何の確信もないけど。

「beachanにも迷惑をかけるなあ」

と弱々しい返事があった。

 

 あまりのショックに急に認知症を発症するってこともあるのかしら?と私は不安になった。それに、実際に、癌って宣告されたらいくつであっても受け入れるのはそう容易いことではないだろう。

 

 その日の夜、夫は自分の辛かった出来事を話し始めた。大げさだけど、私にとっては50回くらい聞いた話だ。でも今までで1番力が入っていた。

 

 10歳の頃、夫は不慮の事故に遭った。とんでもない激痛に耐えながら

「病院に連れて行ってほしい」

と言ったが父(義父)は

「そんなの放っておけば治る」

とそのままにした。数時間後、母(義母)が病院に連れて行き、手術となった。その後、機能的に大きな問題はないものの、見た目は明らかに違ってしまった。今でも冬などには血の巡りが悪く、痺れたり痛みを伴う日もあるそうだ。

 

 「たった10歳の俺がとんでもない痛みに耐え『病院に行きたい』って泣きながら訴えたのに、オヤジは何もしてくれなかった。俺は自分の部屋にこもっておふくろが来るまで泣き続けた。その後大人になるまでは、友だちに『どうしたの?』って聞かれるたびに言い難い思いがあった。俺はあの時のオヤジに対する思いが忘れられない。今では堂々と他人にも見せて、どうしてこんな風になったか披露しちゃうけどね。俺はオヤジの病院にも車で付き添うし、病状も薬の説明もしているし、やることはやっている」

 

 「もう、50年以上も前の話だし、忘れろとは言わないけれど、今はおとうさんを第一に考えたら?」

私はそんな風に行ってみたが、夫の目は遠くを見ていた。基本、心は優しい夫なんだけれど。

 

 ただただ、無事に手術の日を迎えられることを願っている。そして、その後、認知症についても受診しなければ……。