「どうせ死ぬんだから」
母が言った。母、妹、私の3人でこれからについて話し合いをしていた。妹がまもなく自宅に戻る。
介護用品の購入やレンタルはまとまった。ヘルパーさんにどんなことをお願いするのかも決まった。しばらくこれでやって行こうとなった。それでも見守りや防犯についてはどうしようか?基本的に母は1人で生活することになる。補聴器も限界なのか、母の耳の聞こえはさらに悪くなってきている。そんなこんなで、母の口から飛び出た言葉だった。
妹が即座に口を割った。
「おかあちゃん、そんなこと言わないで!」
私もまったく同じ言葉を発しようとしていた矢先のことだった。ただ、違っていたのは語尾の感じ。妹の「!」に対して私は「~」だった。この文章でニュアンスが伝わるだろうか?
そして、そのあと妹はこう言葉を繋いだ。
「おかあちゃん、リハビリ、病院でがんばったよね?毎日午前中には歩いて午後には計算などのお勉強もしたよね?あの努力が無駄になるじゃない!」
さらに早口で続く。
「それに、私もおかあちゃんが家に戻って生活できるように、懸命に動いたのよ。その私の努力も水の泡になるじゃないの!」
「はあぁ、そう来たか!」
私は思った。妹がどんな思いで母に寄り添い、帰国してからずっと介護に勤めていたか、想像したら少しばっかり泣けてきた。めったに泣かない私が。自分だったらそんなことは言えない。
「そりゃ、人はいつかは死ぬよ。私だって死ぬよ。でもさ、今投げやりにならないで。みんな、悲しくなっちゃうよ。せっかく前向きに話しているんだからさ!」
そんなことを思ったけれど、妹に圧倒されて、私は言葉に出すことができなかった。
「努力」「懸命」か……。いつだって自分には必死さが足りない。余力を残しておく、と言えば聞こえはいいが。胸を張って
「私努力しました」
「懸命にやってます」
って、私の人生になさそう‥‥‥。
妹のおかげで母は入院前の生活に戻りつつある。介護用品がちょっと増えて、ヘルパーさんがお手伝いしてくれるようになったことは大きな変化だが。
先日は
「beachan、お風呂のお手伝いさんもヤクルトスワローズのファンなんだって。『ひ孫もファンです』ってAくんのこと言っておいたよ」
なんて、ヘルパーさんとの会話もできるようになってきて、喜んでいる。
妹からラインが来た。
「おかあちゃんに『病院はご飯の用意も掃除も洗濯もしなくていいから戻りたい?』って聞いたら『大変だけれど、家がいいよ』って言われた。おかあちゃんの回復は想像を超えていた」
そう言い残して妹は今週末、英国に戻る。