子どもたちが小さかったころ、夫は毎年ドラえもんの映画に連れて行った。私は留守番。ふだんこなせない家事をしていた。
ありがたかった。夫は子どもを楽しませることに長けていた。いや、自分が楽しんでいたかもしれない。
例えば、長男が1年生の時ディズニーランドに行って、そのことを作文に書いた。
「ビッグサンダーマウンテンにのったとき、おとうさんが『ショウタ、手をあげてばんざいしよう!』といったので、こわかったけれどやりました」
という文章があって、先生の
「ショウタくんよりおとうさんのほうがたのしそうですね」
というコメントに私は大きくうなずいたっけ。
ドラえもん、最初は長男だけだったが、ピーク時には、夫は3人の子を連れて映画館に行っていた。当時は、今のように予約や指定席など取れず、前日から作戦を練る。
そうだ、もっと昔、私がデートをしていたころ、指定席、あったあった。そこだけ白いカバーがかけられた高級感あふれるシートで、1番観やすい 区画に数席設けられていたわ。他の席に比べて高額だった。ちょっと恥ずかしかったけど、少し大人の彼が誘ってくれて、1度だけ座った。いつの間にか無くなった。
夫は、その日の初回を狙う。入れ替わりでごった返しているところで、座席確保は難しい。上映時間の大分前に並ぶ。夫だけが先に向かい、後から私が子どもらを連れて行ったこともあった。
「1番だった」
って帰ってくるなり聞かされたこともあり、私はその夫の心意気に感心した。ハンカチやタオルなどは座席取りの必需品だ。大の大人が扉が開くと子どもそっちのけで走りこむのだから想像すると笑っちゃう。ある時はどうしても席の確保ができずに長男長女だけを座らせ、自分は一番後ろで立ち見。次男を抱いて見ていたら、3歳児だものいつのまにか眠っていたなんてことも。
「手がしびれた~」
と戻った。
またある時は、通路の階段に新聞紙を敷いて、座って観たこともあったとか。そんなことも許されていたのね。そして、何かグッズがもらえる。色違いのドラえもん人形の時は誰だったかがレアな金色が当たって、家に戻ってからも喧嘩してた。
私は、そのあと時が経ってからテレビで放映されるドラえもんを観る。一番好きだったのは『のび太のドラビアンナイト』だ。ワクワクドキドキの内容に引き込まれた。最近は有名なアーティストさんの歌も魅力だ。
そしてこの度私は初めて映画館でドラえもんを鑑賞した。大きなスクリーンで観るのはやっぱり迫力がある。子ども気分で楽しんだ。「のび太くんはドラえもんが大好き」っていうテーマが、最後にさりげなく表現されていたところも好感度抜群。
ちょっと言わせてもらえるなら、最後に怪獣(悪者)との闘い時間が長かったことやドラえもんのポケットから何でも出てきちゃうところが残念だったかな。その昔は、のび太くん、ドラえもん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫が愛と希望と夢と勇気とで知恵を絞って苦難を乗り越えようとしていた。タケコプターやどこでもドアなどのほんのいくつかの道具を駆使して挑んでいた。
今ではオンラインゲームなどでもいろいろな武器を課金?などで手に入れ、相手をビシバシと倒していく。そんな今の風潮が、ドラえもんの構成にもなっているのかと思ってしまう。どんな道具もポケットから出てきて、私は
「それなら、始めからそれで闘えば良かったじゃん!」
と憎まれ口をたたくばあちゃんになってしまったわ。
30年の時が私をどんどんと今の世の中になじめない、遠い気持の持ち主にしている。
「あの頃は良かったな」
の言葉が得意になってしまった。
そして、最後に……何といっても私にとってドラえもんはやっぱり、大山のぶ代さんなんだなあ‥‥‥。

