高校の時、「カンレイドウモン」って漢字を初めて調べた。『函嶺洞門』だと。それは、箱根駅伝の5区、6区のコース内にあった。 幅が狭く渋滞を引き起こしていたこと、さらに危険性もあり、今では迂回路ができた。だから現在は選手はそこを走らない。
箱根駅伝が好きな私がなぜか最初に知った場所だった。その響きがかっこよかった。それは隙間の空いたトンネルで、走っている選手がコマ送りのように見え隠れした。応援の人もいない、たった170メートルだが、正面ではなく、横から映る選手の姿に、特にスピード感があった。あそこを走ってみたかった。
仲間には
「 ツヨシ、マニアックすぎる」
と言われた。
「やっぱ花の2区っしょ!」
「○○の山の神って言われてみたいよなぁ」
「ゴールテープ切ったら、全国に顔が知れ渡るんだぜ」
みんな、それぞれが夢を持っていた。
懐かしく思い出す高校時代のことだ。
高校を卒業して、20年が経つ。工場の仕事にも慣れてきて、それなりに仕事を任されるようになった。その間も毎年箱根駅伝のタスキが繋がれていく様子を見てきた。高校時代に一緒に練習した仲間の姿も見た。羨ましかったが、妬むことはなかった。 同じ目標を持ち、毎日走ってきた仲間は私の誇りだから。たった3年間だったが、良き指導者と仲間に恵まれ、私にとっては夢のような時間だった。あの時だけは、家のことに悩むこともなく、陸上に専念できた。
久しぶりに地元に帰った。偶然にもタモちゃんに会った。隣にはタモちゃんと相似形の女性がいた。彼は赤ちゃんを抱っこしていた。
「久しぶり~。タモちゃん、結婚したんだ‥‥‥。おめでとう」
「うん、今は生後半年の赤ん坊に振り回されているよ」
照れながらもその顔の奥には自信が見えた。
小さい頃、金だけが 劣ると思っていた私は、3人の姿を見て思った。タモちゃんの家には子どものことを案じる両親と祖父母がいた。タモちゃんはそれをバックに、人を恨んだり、傷つけたりせず、堂々と自分の道を歩んだんだ。私の知らないタモちゃんの空白の時間はどんなだったのだろう。タモちゃんは繋いだんだ。
私はツナグつもりはない。タスキは重いからこそ、みんな必死にツナグんだ。私のタスキは高校時代だけ、それ以外はツナグ価値のないタスキだと思っている。
最近まで仕送りをしてきたが、もうやめることにした。充分だろう。今回実家に戻ったのだって父が亡くなったから。私は、それさえも拒否していたが、母に泣きながら
「ツヨシ、帰ってきてほしい」
と懇願されたから。帰ってこなけりゃ良かったよ。幸せそうなタモちゃんを見たくなかったよ。私はタモちゃんに初めて嫉妬した。
1つだけ、私が全国紙に名前が載ったその新聞を父が切り抜いて持っていてくれたことを知った。が、そんな些細なことで、育ててくれたことに感謝できるほど私の心は広くない。どうせ、誰かがくれたものじゃないか?もともと新聞なんて定期購読するウチじゃないんだ。
タカシはどうしているだろう?キヨシにも会ってみたいと思う。サトシは、いつか犯罪を起こして逮捕されるんじゃないか。それだけはどうかどうか……。私はそれらを頭から振り払う。
父に懸命な姿が見られれば、周りから冷たい目で見られることもなかった。1度で良かった。沿道で旗を振る姿、「ツヨシ!」と大声を出す父が見たかった。金だけじゃなかった。
前回私が育ったこの町に帰ってきたのがいつだったかも忘れた。私に「家」という言葉はいらない。あの3年間だけが私のすべてだ。
周りからの大人の奇異な目がとてつもなくいやだった。
一方で、私の唯一の武器である走りを生かして、社会人でもトライしても良かったのではないか?反省もうずまく。
☆☆☆☆☆
「親ガチャ」
あまりにうまく言い当てていて、その言葉を初めて耳にした時、私は
「まさしくこれだな」
と納得した。「ガチャ」とは、「ガチャポン」のこと。私の地元辺りでは「ガチャガチャ」と呼んでいたが。
コインを入れて、ハンドルを回すと、プラスチックケースに入ったおもちゃがランダムに出てくる。子どもは親を選べない。それの例えだ。
そして当然のごとく私はハズレだった。
私はこのタスキだけは次に繋ぎたくない。愛も努力も金もない家族と呼べない薄っぺらいタスキはツナグ価値もない。
私は私だけでもうたくさんだ。
完