かあちゃんが駅伝の応援に初めて来てくれた。最後の大会だ。

 

 相変わらず太っていたけれど、僕の走りには大声で叫んでくれた。周回するから何度もかあちゃんの声が響いた。

「ツヨシ!がんばれー!」

「負けるなー」

子どもの駅伝の応援にすっかり慣れているような母親の姿がそこにあった。

 

 駅伝の季節は秋から冬だ。かあちゃんは黒いダウンを着て、余計にデカく目立っていた。仲間も女子マネも監督もみんなが応援してくれたが、僕はこの時のかあちゃんの応援が一番力になった。僕が欲しかったものは自転車でも、マネージャーが作ってくれたお守りでもなく、親の声だったと気づいた。

 

 大会の後にかあちゃんから聞いた。

「キヨシはサチコおばさんのところにもらわれていった」

それは僕が高校に入学して直ぐの頃だったらしい。子どもに恵まれなかった叔母さんと養子縁組をしたらしい。年に2回、正月と夏休みに実家に戻る期間があったのに、僕はとうちゃんしかいないことに疑問を持たなかった。ずっとバラバラな家族だったし。

 

 さらにかあちゃんは続けた。

「サトシは家を出たまま行方が分からないんだよ」

「えっ?それで?」

「連絡はあるから無事なんだけど、なんだか悪い仲間のところで生活しているらしい」

「それって、『あっちの人間』ってことじゃないの?」

「そうかもしれない‥‥‥」

 

 そんな……。そのままでいいのかい?親として何とかしようという気持ち、ないのかい!もう、どうしようもないんだろうな。こんな風になるまでにどうにかしていれば……。嫌いなサトシのことではあったが、やっぱり僕は兄貴なんだと思った。

 

 最後の大会で、仲間と目指した結果は残せなかった。全国に出ることは叶わなかった。が、僕は充実した3年間に満足だった。都道府県対抗に選ばれた仲間もいた。多くは名だたる大学から声がかかり、競技を続ける。いつか箱根を走る仲間もいるはずだ。社会人チームで上を目指す選手もいる。

 

 一方で僕と同じように、これで競技人生を終える仲間もいる。そんな彼らは口をそろえて

「オレは、気持ちが収まるまで数年間は『箱根』を見れない」

と言う。箱根を目指してやってきたが、どこからも声をかけてもらえず、悔しいと。

 

 「受験してやりたい大学に入ってメンバーになる選手も多いって聞くよ。やってみればいいのに‥‥‥」

僕は声をかけた。きっと両親は賛成してくれるに違いないよ。僕んちとは違うだろうよ。大学の学費は桁違いだ。それに僕は大した勉強もしてこなかった。僕とは大きな差がある。

 

 今はスポーツだけで、勝負できる時代ではない。小さいときから、しっかりと栄養を摂ること、勉強もやっておくこと、お金だってかかるんだ。そして何より、常識のある両親の元で育つこと……。高い学力なんて必要ない。普通の親が欲しかった。

 

 その昔、とうちゃんがプロレスを見ていて

「こいつらの脳みそは筋肉でできている」

って言ってたな。僕が思い出すとうちゃんの思い出はそんな物ばかりだ。

 

 僕は監督の紹介で、とある工場で働くことになった。実家からなるべく遠く離れた寮のある会社だ。それが僕の中では最優先選択事項となった。

 

   続く