晴れて僕は鶴河高校に入学し、陸上競技部に入部した。中学校時代、既に大会で顔を合わせていた選手もいた。地方の高校からやってきた選手もいた。これからはみんな仲間であり、ライバルだ。
ストレスもなく、走ることに専念できた。監督の指導は厳しかったが、普段は僕らの思いを聞いてくれる優しい先生だった。なんと言っても我が家の事情をわかっていたはずなのに、それを決して表に出すことはなかった。 指導において平等にあたってくれた。先生なのだから当たり前と言われるかもしれないが、僕を蔑んだ目で見る大人、先生、を僕は今までたくさん知っていたから。
陸上部の保護者会には夫婦そろって出席する人たちが多くいた。地方から来ている選手の親はなおさらだ。おむつを穿いた幼児を連れてやってくる太った母1人、奇異な目は集まったことだろうが、僕は気にしないことにした。
周りの人間にウチの家庭環境がどんななのか、知られることもなく過ごせることはなんと気が楽なのだろう。各選手も自らのことで精一杯だ。親だって、たった15歳で親元を離れた我が子の心配で、他人のことなどかまっていられない。
おなか一杯に食べることもできる。指導を受けて、むしろ嫌いなものも食べた。それだって幸せなことだ。
苦手な勉強も何とかついていくことができた。僕は体育クラスに所属していた。全員が体育系の部員だ。勉強はそれほど難しくなく、一般と呼ぶクラスと、そもそも教科書の厚さが違っていた。授業中寝ている奴もいた。それでも先生は何も言わなかった。
何といっても女子に声をかけられるなんて、初めてのことだった。僕には苦い思い出がある。小学校5年生の宿泊学習の時のことだった。バスの席が前もって決められたが、僕の隣は1年の時から好きだったミホさんだった。みんなは彼女のことを「ミホ」って呼び捨てで呼んでいたけれど、僕にはできなかった。でも今回少しでもおしゃべりできたらいい……。
ところが彼女は僕の反対側をむいたまま友だちや別の男子としゃべってばかり。僕はずっと窓の外を見ていた。ひと言も話せない2泊3日だった。それから女子とは必要最低限のことしか話していない。好かれてはいないんだ、と気づくのに時間はかからなかった。
「3ぷん10びょう、11,12,13,14‥‥‥」
明るい女子の声がグランドに響く。
「ツヨシ、ファイトーーー」
僕にかけられる声。もちろん僕だけじゃないし、彼女がなんとなくケンシロウのことが好きなのはわかっている。それだって僕は嬉しかった。
順風満帆だったわけではない。僕は1年生の時には疲労骨折を繰り返した。オーバーワークとも聞いたが
「小さいときにしっかりと骨を作る栄養のある食事を摂らせてもらえたら」
と、親を恨んだ。
それでも僕は努力の甲斐あって、駅伝のメンバーに選ばれるようになった。女子マネが作ってくれたお守りは今でも宝物だ。自転車は取られたが、これだけは自分が持ってこそ価値のある宝物なのだ。
続く