「年賀状じまい」が流行っているようだ。我が家に届いた枚数も昨年より大分減った。いや、これは流行りもんではないな。何と表現すればいいやら。昨年の年末には年賀はがきよりも年賀状じまいをお知らせするための官製はがきの売れ行きがすごかったとか、そのご挨拶のシールが売られていた等々。年賀状という文化はいずれ消滅するかもしれない。

 

 その昔、母は年賀状が大好きだった。元旦の朝は、早く届かないかと心待ちにしていた。外で物音がすると、母の声が飛ぶ。

「あ、年賀状かな?だれか、ポスト見てきて~」

 

 そして、実家は、元旦に年賀状を一時保管する場所として郵便局からお願いされた時期もあった。当時は相当な枚数があり、配達も大変だったようだ。配達員さんが一定数配り終えていちいち本局に戻っていたら、それこそ無駄な時間となる。そこで、近くに拠点を置き、そこからの配達として商売をしていた我が家が選ばれたようだ。

 

 軒下にダンボール箱が置いてあり、輪ゴムで束にされた大量の年賀状が入っていた。少し盗み見したかったが、そこは我慢。今、年賀状はだいぶ減ったし、個人情報なのだから、こんな配達の仕方はしないだろう。

 

 さて、届いた年賀状、母は毛筆で書かれたきれいな文字の賀状だけを集め、じっと見入る。そして、要らなくなった紙にその字をお手本にして自分も筆を走らせる。素敵な文言があると、自分用の雑記帳に書き留める。さらに、失礼なことに、誤字脱字を見つける。せっかく心を込めて出してくださった方に申し訳ないくらい。でもそれらが母にとっての新年の楽しみの一つだった。これぞ昭和。


 私も年賀状は、しまう方向ですすんではいるものの、それはそれでなんとなくキッパリとできない。昔の母の姿を思い出し、郷愁に浸っちゃうのかな。