母の弟妹は皆達筆だった。叔父叔母から届く年賀状の毛筆の文字はなぞっても書けないほど立派だった。母も然り。が、最近は
「手が震える。まっ直ぐに書けない」
と嘆いている。
「この文章、賀詞としていいの?『期しております』って、なんかおかしくない?」
私は口には出さないが、そんなことも思った。
そして、この絵柄を見て
「印刷されているものを買ったの?」
と聞くと
「違うよ。選んだんだよ。それをファミリーマートで印刷してくれるんだよ。お願いしたんだよ」
と言うではないの。私は
「えっ?それなら私が印刷したほうが安上がりだよ」
と危うく発しそうになった。そのかわりに
「おかあちゃん、すごいじゃない。いい年賀状ができたねえ。受け取った人は喜ぶよ」
と言った。母はまんざらでもなさそうだった。私は喜んだ。
もう30年ほども前から父に
「年賀状、印刷してくれるかい?」
と頼まれ、私はその間ずっと、通信面から宛名まですべてソフトで対応してきた。100枚ほど印刷した時期もあったが、亡くなる数年前には50枚以下に減っていた。そのついでと言っちゃあ母に申し訳ないが、10枚ほど、差出人が母のものも用意していたのだ。
その時も母は
「助かるよ~。こんなことできるなんてbeachanすごいねぇ」
なんて言ってくれた。パソコンがサクサクやってくれることを母は知らない。
その絵柄が男っぽくて、ビジネスっぽくて、母は気に入らなかったのか、私がやっていたことを忘れてしまったのか、本当はずっと以前から自分で気に入ったものを選びたかったのか?今回何十年ぶりかで母は自分ですべて用意した。これは「年賀状じまい」ならぬ新たなる「年賀状始め」だよ。
数年前から我が家にも
「今回をもって年賀のご挨拶を失礼いたします」
というお知らせが届くようになった。先月、ライン仲間で「年賀状じまい」が話題となり、結果
「じゃあ、お互いに今回(来年の賀状)から無しね。ラインで挨拶できるしね」
となった。昔からの友だちとも
「年賀状やめようか。その分元気で会おうね」
になった。結果、伯父伯母や仕事関係の方々を中心にご挨拶状を出すことにしたら、枚数はグッと減った。
しかししかし、この母の年賀状を見てしまったら私は
「もう1度だけ出そうかな?」
って気分になった。
寒い中、ほんの数百メートルではあるが、シルバーカーを押して、ファミマまで行き、自分の好きな柄を選んで印刷してもらった母。たった10枚ではあるが、手書きで文章を加え、もちろんお相手の名も書き、自分の名前も書いた。90歳の母にとって決して容易い作業ではないはずだ。
友人へ
「ごめん、約束破るけどよろしく」
と伝えることにしよう。それを許してくれない友人たちじゃない。
