彼女はちっとも変わっていなかった。ロングヘア―の先を少しカールさせていた。当時は子育てにも忙しく、いつも後ろで1本にまとめていたっけ。スレンダーな彼女はパンツ姿がよく似合っていた。

 

 私たちはイタリアンのお店の個室に落ち着き、お料理が運ばれてくるまではご主人の話をしていた。そして、子どもはY君だけだそうだ。私も少しだけ自分の話をしたりした。

 

 ところが、すっかり2人きりの時間になったところで、彼女は突然話題を変えた。私はその話に

「えっ?」

っと声を出したきり、後の言葉は続かなかった。信じようにも頭が追い付かなかった。

 

 10年以上も前に私が夫と話したあの殺人事件、あの犯人とされた男は彼女のご主人のお兄さんだったということ。

 

 マスコミが家までやってきたこともあったこと。両親には

「離婚しなさい」

と言われ続けたけれど、自分は

「Yのパパはこの人だ」

と、頑張ってきたこと。

「義兄と主人は別の人間である」

と頭にたたき込んで頑張ってきたこと。ご主人は大きな会社も離れ、どうにか別の仕事を見つけ、引っ越しをして3人でひっそりとやってきたそうだ。

「私はやっぱりあの人のことが好きだった」

と言った彼女の目が赤かった。

 

 私はほんの数回お目にかかったことがある。長身のすっきりしたルックスの男性だった。その愛する人の死をきっかけに、だれかにこの話を聞いてもらいたくて、私に連絡をくれたのだった。

 

 「主人がこの世にいなくなったことで、義兄との縁が切れたように思った」

と彼女は言った。これで平穏な生活が戻ってくる気がしたと。ずっと、常に誰かに追われているような生活だった。ご主人に対しても

「この人を助けるのは私だけ」

と思ってみたり、無性に憎しみだけがやってきたり。この思いを吐き出したかったと。

 

 かと言って相手は誰でもいいわけじゃぁない。そんな時、地域的にも近すぎず、関係性も深すぎない、私を相手として思い出したのかもしれない。

 

 私はお料理を口に運びながら、ただただ彼女の話を聞いていた。心が震えていた。彼女はこれまで、がむしゃらにやってきたのだろう。身体を小さくしながら心だけは大きく強く持ってやってきたことだろう。

 

 私は、最後まで頷くだけだった。

「なんて言えばいいのか?なにを言えばいいのか?何を伝えれば彼女の助けになれるのか?」

それだけが頭の中でぐるぐるしていた。

 

 でもこの時、既に10年以上が経っていたのだ。今じゃない。だからと言って、その間の彼女をねぎらう?お疲れさまを言う?そんなのふさわしくないよな。大変だったねと寄り添う?それも口先だけのように感じる。結局言葉は見つからなかった。だって、私自身そんな小説の中だけで起こるような話に今まで出会ってないのだから。


 なんと言っても、ご主人を亡くされている。でもそれによって安らかな生活がやってきた?

「良かったね」

なんて口が裂けても言えない。今の彼女にかけるふさわしい言葉は何?

 

 「身体だけは気を付けてね。これからも聞くことはできるから」

「ありがとう。このこと、誰も知らないんだ‥‥‥。Yも知らない。幸い、何もわからない頃のことだったし。今日はごめんね。次はbeachanの話、聞かせてもらうね」

そう言って別れた。

 

 私のバッグの中にあった携帯電話は、なんの役にも立たなかった。メールアドレスや番号の交換なんて考えていたが、とんでもなかった。そんなことをこちらから言い出すことはできなかった。メールや携帯電話で話すような内容ではない。

 

 今では大事な商談だって携帯の時代だ。アナログの私は、スマホがその昔、玩具として流行ったトランシーバーの高級版の気がしている。大事な話はやっぱりあのイエの電話じゃなければいけない。さらに言えば、電話じゃないんだ。会って話さなければならない。それほどのことなんだ。

 

 彼女が背負ってきた重りがこれから徐々に軽くなるようにと祈った。このまま平穏に時が経つのを願った。


  続く