「どうしてこんなことしちゃったんだろうね」

「まったく恐ろしいよ。人を殺すって考えられないよ。いったいどんな気持ちでやったのか‥‥‥」

夫とそんな会話をした。その事件は、衝撃的なものだった。

シンゾクヲコロス

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

 初めての妊娠中、私は母親学級で、ある女性と友だちになった。お互い1人目でもあり、母親学級を1日も休むことなく通った。親しくなり、家を行き来するようになった。彼女は手先が器用で、子どもが生まれたら役に立つであろうバッグや巾着などを作ってくれた。

 

 いつからか、「Sちゃん」「beachan」と呼ぶ仲になっていた。子どもが生まれていたら、

「〇〇ちゃんのママ」

になりがち。と言って、名字にも慣れていない(新婚)お互いがそれぞれ呼び方を提案したのだった。

 

 私たちは元気な男の子に恵まれた。彼女は、ご主人の名前のひと文字をとってY君と名付けたそうだ。公園、図書館、地域公民館で一緒に子どもを遊ばせた。と言うより、自分たちのおしゃべりに夢中だったかも。何事も初めての2人、子育てについてストレスを発散し、情報交換をした。

 

 ところが、子どもが2歳の頃だったか、ある日を境に、まったく連絡が取れなくなった。突然引っ越しをしたのか?何回かアパートを訪ねてみたが、表札もなくなっていた。今のようにスマホで繋がっているわけでもなく、住所とイエ電だけが手段のその頃は、私からできることは何もなくなってしまった。

 

 その後、私はさらに2人の子どもに恵まれ、忙しさもあって、彼女とY君のことは頭から離れてしまった。

 

 長男が中学3年生の時に、その電話はかかってきた。Sちゃんからだった。懐かしさと嬉しさのあまり、最初は言葉が出なかった。彼女は突然の転居、その知らせができなかったことを詫びてくれた。私にとっては、そんなこと、どうでもよかった。お互いが元気で、これからもこうしてまた連絡をとることができるってことだもの‥‥‥。

 

 この10余年の空白を埋めるべく、私は

「Y君は元気?」

と言ってみたが、思いもよらない言葉が返ってきた。ご主人が亡くなられたと。大病を患い、長い入院生活ののち、他界されたと。まだ40代だった。

 

 私はなんと言っていいのかわからず、ありきたりのお悔やみの言葉を述べた。沈黙が流れた。すると彼女は会ってゆっくり話したいと言う。引っ越し先も都外とは言え、比較的近く、ひと月後、私たちはとある大きな駅で会うことになった。

「ランチをしよう」

 

 ご主人を亡くされ、辛い思いをなさっているだろうが、Y君は元気に成長したことだろう。私も長男の話を聞いてもらおうかな。何から話そうか……。しばらくぶりのSちゃんとの再会に私は興奮していた。

 

 続く