亡くなった義母は本当に写真が好きな人だった。風景などを撮ることはなく、もっぱら人を写す。自分も含めて。お着物も好きで、なぁんの行事もない普段の一日に訪問着でビシッと決めた姿をお庭で何枚も撮る。義妹がカメラマンだった。
しっかりした望遠レンズ付きのカメラを首から下げ、孫の行事には必ず顔を出し、写してくれる。幼稚園、学校行事はもちろんのこと、スポーツの試合やピアノの発表会など、それはありがたかった。
その頃はデジカメでもないのに、シャッターチャンス、アングル、どれも上級でした。一発勝負なのに。
お宮参りから始まって、七五三など、写真館での撮影も大好きだった。
ところが、その写真の処理は、私の作業となり、面倒だった。その頃のアルバムは、台紙の透明フィルムをペリペリとはがし、そこに写真を数枚並べ、最初にはがしたフィルムを空気が入り込まないように貼る形。
そして、これからが驚きですよ。当時はネガというものがあって、複数枚ほしい場合は写真屋さんに焼き増しをお願いする。我が家には3人の子どもがいたので、家族全員となると5人が写っているわけです。義母は4枚おんなじ写真をくれるのです。おんなじ写真を4枚です!子どもらそれぞれのアルバム3冊と私たち夫婦用のアルバム1冊用。例えば夫と子ども誰か1人の場合は、2枚。そこに貼る作業が生じるのです。夫じゃなく私の作業。
私たち家族だけでどこかに出かけたりして撮影した写真は、お店でもらえる紙のポケットアルバムに入れ、すぐさま義母に見せに行く。いつだったか
「見せてね」
とアピールがあったので、それは恒例となった。そして翌日には、焼き増しの枚数が書かれた紙と共に、返却される。
義母は、大量の孫の写真が貼ってある自身のアルバムも持っているということ。
焼き増しを頼まれてから1週間なんてすぐに経つ。やんわりと、夫を通して催促が入ることもしばしばだった。
「焼き増しの写真はまだ?」
また、それだけ写真が好きな義母だから、時々は6L?とかに引き伸ばしたものもやってくるわけです。こちらの希望など関係なく。
「これ、一体どうする?」
アルバムを優に超える大きさ、飾る用ですかね。
そうして貯まったアルバムは50冊以上。その後、処理に多少は便利になったポケットアルバムも数十冊。夫の結婚前のモノも運び込んでいる。そこに加えて幼稚園や学校の卒アルも加わる。いつか我が家の押し入れの床が抜けるんではないかと未だにヒヤヒヤしている私だ。
さて、長男長女は結婚をし、それぞれ居を構えた。もうこれらのアルバムは持って行ってほしい。それを2人に伝えた。次男は独身社宅住まいなので、狭いし、今は大目に見ている。
長男が言った。
「オレは要らないから処分して。だってね、今じゃあ、こんなに小さくて軽いスマホに数千枚の写真が入いるわけよ」
片手でスマホを大きくかざしながら。
長男は今、子どもらの写真をスマホでバシバシ撮っている。動画だって同じく。それなのに自分の過去には興味がないのか?事あるごとに撮ってくれたおばあちゃんへの感謝の思いはないのか?そこに愛はないんか?1枚1枚丁寧に貼ってきた母だってここにいるわよ!
誕生日や父の日、母の日にはプレゼントを用意し、家族で顔を見せてくれる長男。
「おかあさん、大丈夫?」
が口癖の彼。が、どこか冷めたところがあるように思う。
「じゃ、自分で処分してよ」
の一言を私は口に出すことができず、怒りとも違うなんとも言えない気持ち……。
「確かに長男に頼まれてアルバムを作ったわけじゃないか‥‥‥」
って考えてしまう。それを吐き出すように、すべての写真をはがして、ちぎって捨てた。すっかり写真がなくなったアルバム本体もゴミの日に少しずつ捨てた。
自分にはこういうところがあるんだなぁ……。口に出して言えばいいのに、飲み込んじゃうんだなぁ……。後悔と反省もある。
でも潔くこんなことができるのもそれらの写真がすべて夫婦のアルバムに残っているから。おんなじ写真があるから。
ただ、母親のことが大好きだった夫には、このことは内緒だ。
「これは墓場まで持って行く」
こんな言葉あったっけな。