私にはようちゃんという従兄弟がいる。年も近く、昔はよく遊んだ。その彼が50代の時に脳梗塞を患った。
頑張り屋のようちゃんは、辛いリハビリにも耐え、今ではからだの片側に少しのマヒが残るレベルだ。おしゃべりには問題がない。好きなスポーツも大会に出場するほどになった。
小さい時には夏休みに祖父母の家で一緒に遊んだ。従兄弟姉妹勢ぞろいして、それはそれは楽しかった。
ある時私はようちゃんの異変?に気づいた。右手と左手が同じように動いてしまうことに。例えばよくやった水鉄砲。あのピストルタイプの引き金を引くとき、彼の左手は右手と同じように動いていた。それは手首から先に限られていた。一緒にお絵かきすると、左手もぎゅっと握られている。そしてわずかに細かく動いている。だから消しゴムを使う時、左手をパーにして紙を抑えることができない。
「ねえねえ、おばちゃん、ようちゃんの手がね、右と左がいっつも同じように動くよ」
私はようちゃんのおかあさんに言ってみたが、いつも朗らかで小さなことにこだわらないおばさんは、
「あれあれ、ほんとだ」
と言って笑うだけだった。
お互いに小学校を卒業してから会うこともなくなった。
ようちゃんは大学を出て、大きな企業に就職が決まった。父からその話を聞いたのだが。その時、入社までに英会話とタイプライター(今では知らない人の方が多いでしょうが)の講義を受け、テストに合格するという課題が出されたらしい。ところが、タイプがなかなか合格できなかったそうだ。右手を動かすと左手も動いちゃう。タイプライターの性能が良くて、ちょっと触れただけでも反応してしまう。だからと言って片手で打っていては、制限時間内に文書を作成できない。
「また落ちちゃったよ~」
笑顔でなんでもないことのように報告するようちゃん。それでも彼は自費でさらに練習に取り組み、なんとかクリアーした。
その時のおばさんはさすがに
「かわいそうなことをした」
と目に涙をためていたらしい。「かわいそうなこと」とは、ようちゃんが生後半年くらいの時期に自転車の荷台からコンクリートの道路に落ちたこと。おばさんがちょっと目を離した隙の出来事だったと。頭を打った時に、泣かなかったそうだ。
「泣かないと危険」
とは今でも言われる。急いで近所の外科に連れて行った。
当時の検査とはどのレベルだったのだろう?お医者さんからは
「大丈夫でしょう」
と言われ、ようちゃんはすくすくと成長した。いつしか、その「かわいそうなこと」はみんなの記憶からもなくなっていた。
ただ、この企業からの課題の時には、さすがにおじさんおばさんは
「あの時頭を強く打ったことが関係しているのか」
と遠い昔を思い出したようだ。
さて、ようちゃんの脳梗塞で私は勝手に思うことがある。退院してしばらくしてから、ようちゃんと話す機会があった。病気のことはこちらからは話題に出せなかったが、彼から一言だけあった。
「あんまり後遺症がなくて助かったよ。お医者さんには『脳のダメージの割に身体の症状が出ていない』みたいなこと言われたんだよね」
私はそれは生後半年の事故が関係しているのではないかと思っている。その時、既に脳はダメージを受けていたのだ。両親もおじさんおばさんもようちゃん本人も何も言わないけれど‥‥‥。私は医者じゃないから、専門家がこれを聞いたら笑うかもしれない。
でもようちゃんの元気な部分の脳が指令を出して、ハイハイをし、立って、歩いて‥‥‥。他の赤ちゃんより大変だったかもしれないが、それを「リハビリ」と理解できないようちゃんは、人一倍努力をしてそれを当たり前として普通に育った。手の動き以外は。
脳梗塞の後も、彼は仕事に復帰した。
何か辛いことや悲しいことがあった時、私はようちゃんを思い出すことにしている。従兄弟ながらすごいと思っている。そして、ヒトの脳の無限の力を感じる。
65歳、私もまだまだいけるだろう。