私は仏教徒だ。家族親族が亡くなったら、もちろん心を込めて、そのしきたりに従ってお見送りをしてきたが、日常生活で仏教徒を強く意識することはない。
新興宗教に興味はない。悪質なものはもちろん退治したい。だが、他人に害を及ぼすものでなければ、どなたかの心の支えとなっているのだろうから、なくしてはいけないと思う。あくまでも周りに迷惑をかけない、が前提です。
興味はないといっておきながら、私はそのお話には興味がある。教祖さま?がどんなお話をされて、人はそのどこに魅力を感じ、惹かれ、入会するのか?だからと言って、のこのこと自ら訳の分からない所に行くのもちょっと怖い。
今から30年ほど前、知り合いになった方が、
「beachan、お勉強会に行ってみない?」
と私を誘ってきた。10人ほどのグループで親しくなった仲間のお1人だ。
「すごくためになるお話をしてくれる会で、その後、みなさんとランチをするから、一緒にどう?」
とのことだった。仲間の中で私だけが呼ばれた?みたい。なんだかちょっぴり怪しげで、私はこういうの、興味津々だ。勉強会、に「お」がつくところが私の心のどこかに刺さった。さらにそのランチの場所が、以前から気になっている少しばかり高級なレストランで、こんな機会でもなければ行くこともないだろうと、私は思いきることにした。
行く前から、これは勉強会と呼ぶ宗教だと想像はついた。彼女は賢い方で、今後、強引な態度をとってくるような感じもなかったし、その日を楽しみにしていた。でも最初に言っておきますが、私は天邪鬼です。
当日は、広い体育館のような所に200人ほどの女性ばかり。床に直接座って数人の講師と呼ばれる方々のお話を聞いた。私が思うに、それは子育てについてのお話で
「ご主人の意見に従うことが家庭円満の秘訣」
「自分の主張ばかりを訴えるのではなく、ご主人の話をまずは受け入れる」
とそんなことだった。あくまで、「まとめると」です。
その後、
「1回だけじゃわからないと思うから、もう一度どうかしら?次の会には、とても素晴らしい先生がみえるのよ。オーラがあってね、皆さん、その先生が現れるだけで心が落ち着くって言っているの」
彼女が誘ってきた。私はその先生のオーラというものを感じてみたかった。
そして、そもそもその彼女がなぜ、この会にそれほど没頭しているかも知りたかった。お金にも不自由ない、どこからどう見ても幸せそうな主婦なのだ。
当日、5~6人の先生と呼ばれる方々が順番に登場し、それぞれ15分ほどのお話をなさった。私は
「次の方?次の方かな‥‥‥?」
と思いながらオーラ先生を待ったが、ちっともわからず、会は終了した。
その後、私の友人も含めた皆が
「やっぱり違うわよねえ」
と話しているのを聞いていた。
「どの先生ですか?」
と聞くのもはばかられて口を閉ざしていたら、周りの会話から、その方が女性だということがわかり、紅一点のあの人のことか、と判明した。私にはなーーーんにも感じられなかった。そりゃあそうだな。元々、疑いながら、乗り込んでいったのだもの。
ということで「どんなお話をされたか」は分かったが、「人がそのどこに魅力を感じ惹かれていくのか」はさっぱり解決しなかった。彼女に対する疑問も解決しなかった。宗教だということははっきりした。
人が、どこかに拠り所を求め、何かにすがる。何かに没頭する時間を作る。理想を追求する。それは大事なことだ。でもそれは本当に人それぞれだということだ。
私は自身について考える。何かにすがらなくてもよい強い自分なのか?何かに頼るのが嫌なのか?その拠り所にどんどんとハマってしまう気がして怖ろしいのか?単純に、私はそこそこ幸せにやっているのか?
あの時、なぜ彼女は私を誘ったのか?私が何かに悩んでいる風に見えたのか?友人は、それ以上は私を誘ってくることはなかった。
私って、人のお話を聞くのが大好き。でも 悪く言えば疑ってかかる、良く言えばいろいろな方面から考えてみる、そういうタイプだと自己分析している。合っているかどうかは分からないけど。