現在、確実に人生の3分の2は過ぎているであろうと思われる65歳の自分。この年齢になると考える。
「人生の宿題」なんて言うと大げさだけれど、死ぬまでにやるべきだと思うこと、皆さんおありでしょうか?「やりたい」ではなくて「やるべき」、そう、どちらかというとあまり気が進まないけれど
「やったほうがいい、やらないと後悔しそう」
と思うこと。
皆さん、「やりたいこと」の方は、スポーツ、登山、楽器、語学のおけいこやら訪れたい場所、コレクションなど、思い描いたり紙に書いたりするようだ。だいぶ前になるが、『最高の人生の見つけ方』なんて映画もあった。
亡くなった父が20年以上も前のある日、ゴミ集積場で本を拾ってきた。捨ててある物、ですよ。母も同様、どうして昭和一桁人間、拾うのが好きなのかしら?ゴミとして出されているのに。私の両親だけなのか?
父は小学校を卒業し、中学校に進学した。そこで、お金持ちのご子息たちと自分との身分の違いを大きく感じたらしい。彼らは参考書を持っていた。それは今でいう教科書ガイドのようなものだった。一方の父はふつーの辞書、それ1冊ですべての教科、対応した。でもどうしても限界がある。おぼっちゃんたちが羨ましかったと。
そうそう、『教科書ガイド』ってあったなあ。高校時代は特にお世話になった。英語と古文は必携だった。和訳、現代語訳、宿題が出るとそれを書き写す。要領の良い男子なんて
「理系には必要ないから」
と言って、古文の宿題はノートにすら書かず、授業中当てられたら、アンチョコ(懐かしい響きです)を隠しながらそのまま読んでいたっけ。
父は晩年、新聞を隅から隅まで読み、ある日私に
「beachan、ニジュウ(NiziU)って知ってる?」
と聞くほどだった。はい、私はその時知りませんでした。今ではわかりますよ。父は生まれ育った環境が関係していたのか、憧れだったのか、とにかく活字が好きで、大事にしていた。
「こんなのは、なかな買えない。beachanでも子どもでも孫でも読めばいい」
と言われ続け、ようやく父が亡くなる半年ばかり前、私の家に運びこんだ。それから何年も押し入れにしまわれたままの『夏目漱石全集』‥‥‥。私も高校生の時、課題として 少しは読んだが、忘れた。私は純文学が不得手だ。
どうしよう?いつか読まなければいけない気はしている。私は父が大好きだ。まさかあの世で父と出会って
「読んだかい?」
とは聞かれはしないだろうが。
「それにしてもおとうちゃん、よくも私の苦手な類の宿題を出してくれたわねえ」
いつか子どもや孫にブックオフに運ばれちゃいそう。それともメルカリ?