オリンピックそしてパラリンピックが終わった。いつものことだが、問題と言われるものもあった。大きな規模の何かが行われるということは、必ず反省が付き物。

 

 開催前から、日本の女子体操選手の突然の出場辞退、柔道女子選手の敗戦のあとのできごと。バスケットや柔道の審判のあり方、ジェンダー問題、セーヌ川の水質悪化による競技日程変更等々。そしてそれらはネットで騒がれる。それぞれが意見を持つのは当然のことだ。主催者側は反省も必要だ。が、それが誹謗中傷に繋がってはいけないと思う。

 

 私の知り合いにオリンピック選手にまでなった女性がいる。小さい頃から、身体能力に長けた子だった。

 

 その後、彼女の活躍はいろいろなところで耳にした。今みたいにネットが普及していなくとも人伝にその話は私にも届き、嬉しかった。数々の賞も受賞していた。

 

 40代の頃、街中でばったり出会った。

「beachan、久しぶり~。今時間ある?」

急に言われたけれど、懐かしさもあり、2人で近くのファミレスに入った。

 

 そこで聞いた話には驚くばかり。彼女はオリンピックや世界で行われる大会で、空港では日の丸を振られ、温かい声援を受けて飛び立つも、海外での無残な結果に帰国後、ひどい罵声を浴びせられたという。

 

 それでもまだ人が迎えてくれればいい。あんなに出国時に混雑していたのに、戻ってきたらシーンと静まり返って人っ子一人いなかったと。楽しく打ち込んできたスポーツというものが嫌いになっていったらしい。自分は何のためにこれをやっているのかわからなくなったと。好きでやってきたはずなのに、いつの間にか好きでやっているだけでは許されない彼女の強気な一面が現れ始めた。結果を出したい‥‥‥。それは選手として当然のこと。それが出せなかった時に一番悔しいのは本人だ。

 

 当時、日本女子のスポーツはそれほど世界で通用しなかった。それ以前には「東洋の魔女」と言われたバレーボールもあったが、その後は低迷期だった。

 

 彼女が最終的にどうしたかと言えば、彼女はすっかりそのスポーツから離れた。まだまだ若いと言われる年齢だったにもかかわらず、ただただ、徹底してその競技から離れたのだ。メンタルも強い(と私は思っている)彼女がここまでになるのだから、その2時間のおしゃべりでは語りつくせなかった相当辛いことがあったと思われる。

 

 その後、結婚してお子さんもできた。子どもが、好きなスポーツを選び(彼女が打ち込んできた競技とは別だと)楽しんでいることを喜んでいた。

 

 「子どもには私がやってきたことを一切話していない」

と聞いて、私は信じられない思いだった。

「そこまで追い詰められたのか」


 何十年も前のいちスポーツ選手の話題が今になってのぼることもない。お子さんは知らないままに成長したのだろう。自分の母親が日本においてどれだけ輝かしいスポーツ選手だったかということを。

 

 私はてっきり

「地域の子どもたちにスポーツを指導したりしているのかな。今でも楽しみながらからだを動かしているのかな?」

なんて想像していたけれど‥‥‥。

 

 「その競技のすべてを目にしたくもない」

と言った彼女の目が鋭かった。

「今までお世話になってきた恩師や協会の方々、応援してくださった方々には感謝しているのよ。そしてみんなが『時給のいい仕事先を紹介する』って言ってくれる。でも私はお断りしてる。二度とあの競技に関わりたくないから」

彼女はパートで働いているそうだ。


 彼女は、20年以上胸にためていたそれらを吐き出したのだと思った。

 

 「平和の祭典」としてのオリンピックであるはずなのに、それは国を背負い、結果(メダル)ばかりを求められる大会になってしまった。どの選手も

「オリンピックは特別」

と言う。


 テレビの前で日本選手を応援する自分がいる。勝って喜び、負けてがっかりする自分がいる。

 

 そのあり方に、彼女のことを思い出した私だった。