小学校の校庭で、近くの神社で、小さい頃、この時期には盆踊りがさかんに行われていた。
母はよく
「夏休みにはどこかに出かけないと、絵日記が書けない。子どもたちをどこか遊びに連れて行って」
と言って、父にせがんでいた。毎年、千葉の海と母の実家は恒例だったが、それ以外にもう一カ所どこか、って感じだ。絵日記の宿題が3枚、ってとこを鮮明に覚えている。
そうして父はある年『サマーランド』に、弟と私とを連れて行ってくれた。ところが、あそこはプール主体の施設。水着も持たずに出かけた3人は面白くもなく、午後の2時には家に帰ってきた。母の第一声
「えっ?もう帰ってきちゃったの?」
今ならばネットで調べ、入園料から、お昼はどうしたらよいか、そこでの最高の楽しみ方まで知ることができる。当時は何もわからず、
「なんだか『サマーランド』っていう遊戯施設ができたらしい」
と言って出掛けたと思う。記憶の良いはずの私だが、なーんにも覚えていない。頭にあるのは母のがっかりした顔だけだ。
そうした結果、盆踊りが近くて安くて、両親にとって「手ごろなお出かけ」として選ばれた。しかも母は和裁が得意で浴衣を縫ってくれた。私は「ヨーヨーつり」や「かき氷」が楽しかった。そして、絵日記にはちょうちんをいっぱい書いたやぐらの絵がお決まりとなった。
ただ一つ嫌だったのは、父も母も
「輪に入って踊ってきなさい」
と言うのだ。私は小さい頃から人前で何かをすることが苦手で、いつも拒んでいた。当時、子ども用の曲として『オバQ音頭』が流行っていた。
「キュキュキュのキュー♪」
で始まるその曲がかかると、知った子たちが我先にとやぐらに上がる。私は
「すごいなあ」
と思うばかり。
そして今でも
「beachanは絶対に踊らなかった」
と母に言われる。60年も経っているのになあ‥‥‥。
ところが、我が子たちも絶対に踊らなかったことを思い出した。そしてやっぱり
「踊ってくれば?」
と私は言っていた。長男次男、リズム感なしの踊り嫌い、長女、恥ずかしがり屋。今思うと自分が踊らなかったくせに子どもらに結構強要していたってことだわ。
「たった1周でも踊ってくれたらかわいいのに」
と思うのが親心。自分のことは棚に上げて、子どもにやらせるなんて、それはよくないな。
先日母に聞いてみた。
「おかあちゃん、昔、私たち子どもに『踊ってきなさい』って、すごく言ってたよねぇ。自分はどうだったの?」
「踊らなかった。周りで見てただけ」
だとさ。