恥ずかしながら、『京都梅小路機関区』という単語を初めて耳にしたのは数年前、夫から。
夫は小学校6年生の時、東京駅から独りで日帰り旅をした。今のようにネットもない時代にどうやってそれを知ったのか尋ねると
「たぶん、テレビとかでやっていたのを観て、行きたくなったんだと思う」
という答え。昭和40年代半ばという時代が手伝ってくれたとは思うが、それにしても義父母は大らかな性格だ。お金だってかかる。
今は、東京から京都まで小学生の子どもを独りで行かせて一日過ごさせることはないだろう。あ、スマホがあれば、そして予定を緻密に決めていれば、大丈夫かしら?むしろ今の方が安全なのかな?
そう考えると、あの時代にすべて本人に任せて出させた親の力がすごいのか?親戚や友人が関西に住んでいたわけでもない。色んな事件や事故を想像すると怖い。親から連絡は取れない。子どもから公衆電話を使って話すだけだ。それもお金がかかるから控えるだろう。
どうしても蒸気機関車を観たかった彼は両親に訴え、夏休みのある日、出かけた。朝は父親が東京駅まで送ってくれたらしい。
一方の私。心配性で、
「女の子だから」
が口癖の実母は絶対にそんなことを許してくれなかったと思う。だから、私は数年前に夫からその話を聞いて、すごく興味をもった。あれこれ質問をするのだが、
「忘れた」
ばっかり。体験記憶がまあまあいい私としては残念でならない。
「もう少し記憶していてほしかった」
蒸気機関車を見たのはもちろん、金閣寺やいくつかの寺を回ったらしい。自分で調べて公共交通機関を使って行く。お昼は街の小さな蕎麦屋に入った。小学6年生が1人で蕎麦をすするとは、渋いね。マクドナルドも存在しない中で、
「ここならば安くすませられそう」
と思って入ったお店だそうだ。その時、熱いお茶をこぼして、太ももが痛かったって。当時の小学生はみっじかい半ズボンが定番。夏なんだから冷たいお茶の要求をすれば良かったのに、そこは小学生だったんだ。あとは帰りの新幹線に乗り遅れるんじゃないかと焦ったこと。覚えているのはたったそれだけだって。
そういう経験、夫はたくさん持っている。独身時代にもずいぶんと聞いた。それが私にとっては羨ましかった。
「将来、楽しみながら一生懸命に子育てができたらいい」
と思っていた私に、それは夫選びの大きなポイントになった。
はてさて、その後、そして今、そうして選んだ夫との結婚生活、その結果は如何に‥‥‥。