私が結婚する時、母は、何点か物をもたせてくれた。昔で言う「嫁入り道具」だ。今ではそんな言葉も聞かない。

 

 母が用意してくれたものの中で、印象に残るものが何点かある。主に調理器具だが。母は

「包丁は良いものを買わないと」

と言って私は新宿に連れて行かれた。靖国通り沿いにある間口の狭い刃物屋さんだった。老舗のお店、というよりいろいろなお店やメーカーさんのものを取り揃えているところだった。

 

 母は店内をざっと見渡し

「これくらいの値段ならいいかしら」

と1本の包丁を選んだ。母は何を買うにも値段を見て、

「あまり安いものはダメ」

と言っていた。かと言って高級品を買うほどの我が家でもなかった。

 

 田舎から出てきた母が刃物専門店をいつ知ったのだろう?実家の近くにも売っていたはずだ。

 

 私は包丁の研ぎ方も知らず、本物の鋼でできたそれは、すぐに黒ずんだ。結婚後、子育てに忙しい時期に突入し、包丁研ぎをお願いに行く時間もなかった。

 

 商売で配達途中の父が少し遠回りをして時々我が家に寄って、研いでくれた。ある時

「あまりに汚いから買ってきたよ」

と父はステンレス製の包丁を持ってきた。どこで調達したのか、父が調理器具を購入してきたなんて、驚き半分嬉しさ半分。それからしばらくその包丁を使っていた。大した手入れをしなくともそれはきれいさを保っていた。

 

 子どもらにも手がかからなくなり、母と一緒に買いに行った包丁が気になり始めた。見よう見まねで研いでみた。そして使ってみた。

「えっ?こんなに切れ味が良かったんだ」

ステンレス包丁とは雲泥の差だった。

 

 先日、テレビで日本橋界隈の老舗店を紹介していた。甘味処、日本蕎麦屋、呉服店……。そして、包丁屋さんが出た。うっすらと頭に入っていた母が買ってくれた包丁の屋号?刻まれたその名前。『木屋』という創業220年の刃物では有名なお店だった。

「おかあちゃん、そんなにすごいお店のものだったなんて知らずに使っていたよ。ありがとう」

ま、母もその認識はなかったと思うが。

 

手入れがなっていないのがバレバレですてへぺろ

 

 包丁って、毎日研ぐから、小さくなるものなんですって。私はこの包丁が小さくなったとは思えない……。今度、日本橋に行ってそのお店で手入れをしてもらおうかな。これからも大事に使おう。

 

 「嫁入り道具」って文化もいいもんだな。私は娘に何も持たせなかったわ‥‥‥。