義母の葬儀で最後のお別れの時、棺には着物を入れた。義母は着物が好きだった。選んだのは義妹だった。それは、娘だもの、一番よくわかる。義母がお気に入りの着物はどれだったか等々。男性陣は悲しみに暮れるばかり。
そして最後に義妹は、家族全員の集合写真を入れた。それは、亡くなる数ヶ月前、
「みんなで食事に行きたい」
と義母が希望した時のもの。末期ガンであった。当初、義母の食べたいものを、という話も出ていたが、既にそういう状態でもなく
「みんながおいしそうに食べている姿が見られれば、それでいい。みんなが集まれればそれでいい」
そうして撮った写真だった。
そこには当然孫たち(義妹や私たちの子ども)も写っている。そこで私は心が狭かったのか、あまりいい気分がしなかった。単なる紙切れだ。深く考えることはないのだ。ただ、私は子どもたちが焼かれるようで嫌だったのだと思う。棺に入れるって、破って捨てるのと違う感情があった。
20年近くが経とうしている今、考えてみる。特に気にならなくなった。あの時は、きっと一言欲しかったんだろうな。前以て
「お義姉さん、おかあさんは写真が好きだったから、これを入れてあげようと思っているんだ」
っていう義妹の一言。
この前、実母と一緒に実家で片付けをしていた。父が亡くなって数年経つが、なんとなく身に着けていたものなどが出てくる。そのたびに母は涙をこぼしていた。そして言った。
「beachan、ホントにお片付けって大変だね。何も考えずに棺桶にこれもあれも入るだけ詰めちゃえばよかったね」
私は笑った。母も泣きながら笑っていた。