「そんなににいうことをきかない子、うちの子じゃない!出ていきなさい!」
母は、怒鳴っていた。
自分が怒られていたわけではないが、私はそのそばで身を固くして立っていた。弟は何をしたんだっけ?2人が小学校低学年の頃のことだった。そんな時、私だったらすぐに謝る。というか、そんな状況にはならない。幼稚園に入園したころからは、両親を怒らせることはめったにない私だった。
「早くおかあちゃんに謝った方がいいよ」
「おかあちゃん、もう怒らないで」
そんな言葉を口にしようものなら、さらにことが悪化すると予想され、私は心の中だけで叫んでいた。
母の言葉の直後、弟は靴を履いて外に出ていった。店の前のバス通りをとぼとぼと南に向かって歩いて行ってしまった。私は、まさか本当に弟が家を出ていくとは思っていなかった。母も同じ気持ちだったようで、あっけにとられていた。そして、母は大声を張り上げた後、1分も経たないうちに、私に言った。
「beachan!みっちゃんを連れて帰ってきなさい!」
大人はいつだって理不尽だ。出ていけと言った直後に帰ってこいとは‥‥‥。そしてそんなことの後始末はいつだって私の役目だった。
急いで走って弟の後を追いかける。それにしても弟はいったいどこへ行くつもりだったのか。ようやく追いついた。
「みっちゃん、おかあちゃんが帰ってきなさいって。どこに行くつもりだったの?」
「本家」
父の生家は徒歩5分の距離にあった。おじいちゃんおばあちゃんは優しかったし、いとこの兄さん姉さんもいた。
「そっか、こんな時は本家に行けばいいんだ。頭いいなあ」
いや、感心している場合じゃない。ここで弟が帰らないといったら最悪だ。が、弟は拍子抜けするほどあっさりとクルリと向きを変えて、元来た道を歩き出した。
母は無事に戻った2人を無言で迎えた。帰ってきたということで、「反省している」と受け取ったのだろう。もしかしたら、自分の理にかなわない言動に返す言葉が見つからなかったのかもしれない。何事もなかったように日常に戻り、私はホッとした。
どの家庭の親もそうだったとは言わない。が、我が家の母は厳しかった。時には子どもに向かって
「橋の下から拾ってきた」
なんて言っちゃう。我が家の近くに橋?ああ、あったあった。ちっちゃい橋。今では笑い話だけどね。
「○○ちゃんの家、いいなぁ‥‥‥。お誕生日になんでも好きなもの買ってもらえるんだって」
そんなこと言ったら
「じゃあ、○○ちゃんの家の子になっちゃいなさい」
今の時代にそんなこと言う親はいないだろう。昭和の親(私の母)、理不尽すぎる。
