私はあまり好きではない。どこかにお出かけして、とってものんびりと楽しんでいるのに
「おみやげを買わなくちゃ」
となると、悩む。日持ちはするのか、相手の好みは?それが嫌だ。持ち帰りも重たいし、発送だって最近はすごく送料が高くなっている。
逆に、
「あ!おいしそう」
とか
「おもしろい」
「きれいだわ」
と旅先で偶然何かを見つけて、家族や友人に買っていきたくなった、というのはありだけれど。
昔の人たちはおみやげ、好きだったみたいだ。それは食品に限らない。実家にもあった。古びたガラスケースの中に貝殻でできたカメとかこけしなどが飾ってあった。部屋の壁にはおっきなカメさんがいた。玄関の下駄箱の上にはサケを加えた木彫りの黒いクマさんがいたっけ。床の間にもケースに入ったお人形が鎮座していた。これら、両親が買ったのか、どなたかにいただいたのか?
私が若かったころはペナントっていう三角形のフェルトでできた飾り物?が流行った。訪れた場所のオリジナルだけれど、形や大きさは同じようだった。弟の部屋には何枚か貼ってあったな。記念に自分で買ったのかな?
母は、その土地の名産特産物(食品)などには興味があったようだ。そして、人に物をあげたり人から物をもらったりするのが好きだったから、旅先ではあれこれと買っていた。
さて、私はおみやげに関して痛い思い出がある。それは結婚して10余年が過ぎた頃のことだ。弟家族が仕事の関係でニューヨークに住んでいて
「一度遊びに来てよ」
と言ってくれた。子ども達が小学生の頃、夏休みに家族5人で訪れた。
旅発つ前に義母の母、夫にとっての祖母がお小遣いをくれた。結構な額だった。
結婚直後は私も気遣いで緊張したが、祖母は気さくで大らか、裏表もなく、気前のいい人柄だった。夫は初孫であり、そのまま我が家の長男が初ひ孫とあって、それはそれはかわいがってくれた。我が家に堂々とお出ましになられる。もうそれは入りびたり状態。ご飯も一緒だったり。だから私も義母よりも長い時間を一緒に過ごした。「ひいおばあちゃん」は、私にも良くしてくれた。
さて、ニューヨークは、弟、義妹の案内で、英語の不慣れな私たちも楽しむことができた。ただ一つ、「おみやげ」を除いては。何度となく
「ねえ、ひいおばあちゃんに何かおみやげ買わなくちゃ!どうする?」
と夫に問いかけるも
「なんかさあ、来た早々からみやげみやげって‥‥‥。俺が考えるからいいよ!」
という返事ばかり。そして、あっという間に1週間余りが過ぎた。
私は、途中から放っておくことにした。険悪ムードにもなり、ひいおばあちゃんに何を思われようと、というか、義母に何を思われようが、どうでもいいと腹をくくった。勝手に私が何か購入すればよかったが、あの年齢のひいおばあちゃん、何でも持ってらっしゃるのよ。
実父母には早々に簡単なものを用意した。好みもわかるし、小さくて軽いもの。そしたら夫は
「うちも(私にとっての義父母)それでいいわ」
だって。ちょっとイラっとした。
そして結局なぁんにも買わずに帰国した私たち。義母は、私のいないところで息子(夫)に
「ひいおばあちゃんに何にも買ってこなかったなんて、どういうこと?スカーフの1枚でもなんでもいいのよ。あれだけお小遣いをもらっておきながら!」
と言ったらしい。後から夫に聞いた。
私は義母に何も言わなかった。言い訳じみたことを言っても蒸し返すだけだ。そして、これはすべて夫のせいだと心の中で強く思っていた。開き直っていた。だって私は一応悩んだんだもの。
ひいおばあちゃんは、お小遣いだから、と何もおみやげがないことをネに持ったりする人ではなかった。
この一件、最後には
「いいよ、いいよ、あげたんだから」
と言うひいおばあちゃんに、もらったお金を夫が強引に返すという結果に終わった。
今思い出してみる。どんなものでもいいから、何か買ってくれば良かったんだ。私は、あまりにも何も考えない夫にその時は怒りが沸いていたのだと思った。
私も若かったな。