やっと文章に綴れる気持ちになった。あの日から1か月以上経った。たったひと月で気温は冬から初夏になった。
いつもの1日だった。子ども達がそれぞれ家を出て、夫婦2人だけとなり、弾んだ会話もなく、夕食を終えるのは7時前。その後、夫はこたつでテレビを観る。私も食器洗いなどの片付けが済めば、こたつに入る。
何分か経った頃、夫がいつもの痰の絡んだ咳を始めた。花粉のこの時期、数年前にそれが原因で気管支喘息になった。
「花粉症なんて、気合いだ!俺は絶対にならない」
と言っていたのに。認めざるを得ず、この春先だけお薬をもらったりしながら凌いでいた。
突然、いつもと違う表現のできない咳の音?言葉?を発したので、夫の顔に目をやると、おかしい‥‥‥。明らかに変だ。夫は眼鏡を左手だけでかけようとしている。咳で外れたのか、自分で外したのかわからないけれど。眼鏡の耳に掛ける長い部分(テンプルというそうです)の片側が閉じられているにもかかわらず、それを拡げようともせずに右手を使わず何とかしようとしている。そして、聞き取れない言葉を発した。ろれつが回っていない‥‥‥。
「お父さんおかしいよね?救急車呼ぼうか?」
と言いつつ、電話を手にしたのに、まず近くに住む長男の番号を押した。119ってハードル高い。
その後、よく聞く「両手のひらを上に向けて肩の高さまでまっすぐにあげ、目をつぶってどちらかが下がってこないか」という素人が出来る脳梗塞の簡単な診断、それをさせてみた。できない‥‥‥。右の手のひらを上に向けることがまずできないのだ。夫の右手は高さも上がらず、手の甲を上にしていた。私の言うことも理解できないのか、わかっていてもできないのか?
その間に長男から
「おかあさん、今向かってるけど、もう、すぐに救急車!」
と電話があった。そうだ、こんなことしている場合じゃない。あわてて119にかけた。文章にすると長いが、この間1分経ったかどうか?
「火事ですか?救急ですか?」
何とか状況を説明している最中、長男がやってきて、私は少し落ち着きを取り戻した。
その後、救急車が来るまでの間に夫はしゃべることもできるようになり、自ら歩いてストレッチャーまで動けた。おかしな症状はほんの数分だったと思う。この時、不思議なことに私は何か症状が残っていてほしい、と思った。まさか救急隊の方に
「なんでもないですね」
と言われはしないだろうが、一刻も早く病院に運んでもらうためには、夫の異常な姿が残っていてほしいと。
するとさすがの救急隊員さんだった。
「パピプペポ、ラリルレロ、言ってみてください」
夫は
「‥‥‥、あ、言えない。やっぱりおかしいなぁ。オレ、おかしいんだ」
と言う。文章がしゃべれるのにそれが言えないなんて、私は不思議だった。
コロナ禍だったら時間がかかっていた、もしくは受け入れ先が見つからなかったかもしれない、と思うと恐ろしかった。受け入れ先が見つかった。病院に向かう途中、私は震えが止まらなかった。寒さではないだろうが、両手で、自分の太ももをずっとさすっていた。
中では血圧や酸素飽和度などを測っていた。私の方が血圧が高いのでは?と思った。病歴、普段飲んでいるお薬などを聞かれた。それにしても妻である私、何を聞かれてもはっきり答えられない。
「今、どんなお薬を飲んでいますか?」
これは、お薬手帳を持ってきたので、助かった。
「手術後の(夫は昨年心臓の手術を受けていた)定期診察、直近はいつでしたか?」
「先月……」
日付まで求められたが、分からない。
だって、最近は自分のことで精いっぱい。私は夫よりちょっぴり年上なんだもん。お互いに自分の身体は自分で守る、管理する、それが基本と思ってきた。もちろん、困っている時は助けるよ。でも……。
「他のご家庭の奥様、ご主人の身体や健康状態のどれだけを把握なさっているのかな?」
そんなことを思いながら、救急車に揺られていた。
「夕食は何を食べましたか?」
という隊員さんの問いに、夫は
「魚‥‥‥煮た魚かな‥‥‥」
としか答えられない。たった1時間前のことなのに。救急隊員さんはそれ以上は何も言わなかった。
「え~っ、それしか私が作ってなかったみたいじゃないの!サラダもあったでしょ?味噌汁だってその日は具だくさんの豚汁にしたじゃない!」
ここは私が代わって大声で答えたかったくらい。
病院での長い検査の結果、診断が下された。『心原性脳塞栓症』なんて初めて聞いたが、『脳梗塞』の一種だった。時間が勝負、ということで、同意を求められ、すぐに投薬が始まった。
早い対応が功を奏したのか、ほとんど後遺症もなく点滴による投薬とリハビリの1週間で退院することができた。
リハビリでは、身体を動かすことはもちろん、文章を読んだり、ランダムに並んだ数字を線でつないだりしたらしい。やはり基準より時間がかかっていたようだ。
「お野菜の名前を10個言ってください」
なんてのもあって、夫はもちろん言えず。これに至っては料理を一切やらない彼は、正常状態でも言えないだろうな。
退院した日の夜、長男一家が我が家に様子を見に来た。ありがたいことだ。孫の第一声
「おじいちゃん、パピプペポ、言える?」
そこはまず「おめでとう」だよ、と思ったが、私は言えなかった。
両親の会話を聞いていたのだろう。
「おじいちゃんが救急車で運ばれた」
子どもながらにその大きな出来事に心配していたのだろう。
笑いが起こった。不幸中の幸いとはこのことか。こうしてみんなで笑えるって幸せなことだ。夫が一人だったら、救急車、よんでいないだろう。そのまま命を落としていたかもしれない。今後は服薬を忘れずに、注意して生活していかなければ。大好きなウイスキー、今は厳禁。
私は焼酎のお湯割りが好きだ。が、何だか今は一人だけ飲むのが憚られる。