夫、長男、次男、全員大学まで野球を続けた。夫と息子達のその時代は25~30年違うことになる。当然指導には違いがあるだろうが、選手の気持ちにも違いがあるのだろうか?昭和の子と平成の子。
夫は高校大学と、最高学年ではベンチに入り、公式戦でもスターティングメンバーの1人だったらしい。一方、長男と次男はレギュラーとは言えず、ベンチを外れることもあった。悔しい思いをしたことだろう。特に次男は大学では4年間 ベンチ入りさえも叶わなかった。140人もいる中で、ほんの25人ほどのメンバー。小学校のように、最高学年になれば‥‥‥、とはいかない。大学4年生になってもあとから入ってきた後輩の1年生にレギュラーを奪われるなんてこともよくある話。
そんなことから私は、甲子園(地方大会も含め)や大学野球の試合を見ては
「控えの選手たちはどんな思いをしているのだろう」
といつも思ってしまう。
ドラフト会議の後、プロ入りが決まった高卒選手の今までの歩みをドラマチックに描く番組があったりする。おかあさんがお弁当を作ったりユニフォームを洗ったり、おとうさんがバッティング練習に付き合ったり練習の送り迎えをしたり‥‥‥。それらは、プロに行かれなかった選手、補欠選手、1回もベンチに入れなかった選手の親もやってきた。番組で出演者が
「おとうさん、おかあさん、すごいですよね~」
と言っているが、1度もベンチに入れず高校時代を過ごした選手の親はもっとすごいのではないかと思ってしまう。
注目を浴びるほどの選手ならば親も力が入るのは当然だ。が、表舞台に一度たりとも立てなかった子だって、親は一生懸命に応援していたはずだ。子どもへの愛情のみがモチベーションだ。そして本人自身の思いは?
大学時代、ある大会で、長男はベンチを外れた。その日、予定のあった私は、彼がベンチにいれば予定を後日に回しても球場に足を運ぶつもりでいた。が、その連絡が長男から入り、
「ショウタがベンチにいないんだったら、今日は応援はパスするわ」
と返信してしまった。すると彼は怒った。
「俺だってベンチから外れたくて外れたわけじゃない。そして、今はチームの勝利に貢献すべく動いている。お母さん、その言葉はないんじゃないの?」
大いに反省した私は、その日、球場でいつにも増して応援に力を込めた。
夫は以前から
「俺はレギュラーじゃなかったら、チームの応援なんてしていなかったと思う。むしろ早く負ければいいと思っていた。俺たちの頃は周りの人間もみんなそうだったように思うよ」
なんて言っていた。後半は、彼の勝手な想像らしい。根拠があるわけではない。
甲子園で連日選抜高校野球が行われている。そんなことが作用したのか、夫と、子ども達の野球思い出話になった。私が、長男次男が裏方に回った時でも彼らはチームのために尽くしてきたという話をした。勝ったときは心の底から喜んだらしい、って話もした。
夫は、目にうっすらと涙をためていた。
「息子たちが、レギュラーになれなかった無念さ」
よりも
「チームの一員として最後まで努力をした彼らに対し、自分はどうだったのか?」
と自らの至らなさを恥じた涙だったように私は感じた。