義父は70前にして妻(私にとっての義母)を亡くした。それから20年近く1人で頑張っている。それでも私たちは近くに住んでいるので、何か困ったことがあればすぐに、かけつける。私は、毎日夕ご飯だけ作り、夫が届ける。
義母が亡くなった直後はさすがに寂しそうにしていた。当時大学生だった娘が
「おじいちゃんと1日バス観光でもしようかな」
と言った。ちょうど年明けのこの時期で、娘は『新春ミステリーツアー』なるものを申し込んだ。義父はたいそう喜んだ。夫ももちろんだった。
「おやじが代金を払ってくれると思うけど、申し出がなかったら、俺が払うから、言ってくれ」
なんて娘に言っていた。
『ミステリーツアー』と聞いて、推理小説好きな私は、ツアー客で謎解きでもするのかと思って、行くわけでもないのに胸が高鳴ったが、そうではなかった。行き先が事前に告げられないとのことだ。
「一体どこへ行くのかな?」
という楽しみでバスに乗り込むらしい。
どこに行くかわからないと言っても、バスが東名高速に入れば神奈川や静岡かな?とか、中央高速に入れば山梨方面かな?などと、ある程度はわかる。特に義父は運転も好きだったし、夫からも
「小さい頃、おやじの運転で家族で色々なところに行った」
と聞いていた。当然近郊の有名な観光地ならば知り尽くしている。
そのバスは東名高速道路を走り、三嶋大社へ向かった。富士山も見えて、新春に訪れる場所としてめでたいコースだ。高速を降りると、義父は
「あ~、これは三嶋大社に行くな」
と早々にネタばらし。さらに近づくと
「サトミちゃん、次の信号を左に曲がるよ~」
と大きな声で言う。バスはその通りに左折する。すると義父が
「ほ~ら!曲がった~!」
と自慢げにさらに大きな声になるというのだ。
今ではすっかり耳が遠くなった義父だが、当時も既にそんな兆候があったのか、とにかく声が大きい。耳が聞こえにくくなると、自分の声が大きくなる、と聞いたことがある。バス中にその声は響き渡ったことだろう。
「おじいちゃん、これはどこに行くか秘密のバス旅行だからそういうことは言っちゃダメだよ」
なんて孫娘の言葉、その後も完全無視。普段から人の忠告など、どこ吹く風、の義父。
「この道の右手には確か、蕎麦屋があったなあ。昔のことだからもうやってないかなあ?」
そのとおりに店が見えると
「ほ~ら、あっただろ?まだやっているんだなあ~」
もう、
「ガイド、あなたがやってくださいよ」
です。
それらを娘が義父の真似をしながら帰宅後に報告した。笑いながら。その様子を想像したら、私は、他のお客さんはもちろん、運転手さんやガイドさんにも申し訳なくて申し訳なくて。せっかく新年を迎えて楽しみに乗り込んだバス、どこに行くのか、逐一事前に知らされちゃうわけですよ。
娘はトイレやお土産、昼食の時に外に出て他の方々と顔を合わせるの、辛かったろうなあ。 ごめんなさいの気持ち、恥ずかしい気持ち入り乱れて、頭を下げ続けたかも。そんな私の思いを娘に伝えると
「まあね」
のひと言で終わった。
私だったら、話を盛りに盛って、大変さをこれでもかと夫にアピールしていたことだろう。文句のひとつも言っていたかもしれない。あ、そもそも義父と2人でバス観光、行かないです。血のつながった孫か‥‥‥。私も自身の祖父母だったら笑ってやり過ごせたかな。
それにしても娘よ、あの時はありがとう。おじいちゃん、すっごく喜んでいたこと、私は忘れられない。けど、すっかり物忘れの多くなったおじいちゃん(人のこと言えませんが)、まさか孫娘とバス旅行したこと、忘れてやしないでしょうねぇ。